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Anaesthesia

We hid in deeper forests and fainted in the dark.

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17歳の櫻井翔へ

「桜、散るまでに」 櫻井翔

1988年4月、外には、僕達の入学を祝っているかの様に満開の桜。僕の周りには同じ制服に身を包んだクラスメイト44人。

これが全ての始まりだった。

1995年。ジャンニーズ事務所に入所。

周りは急激に変わっていった。久々に会う女子は僕を「翔クン」と呼び、廊下ですれ違う同級生には罵られた。

時は経ち、2003年4月。あれから16回目の春、なおも桜は満開だ。

6月、小学校の同窓会、中3の時に仕事をバカにされて以来、口をきいてなかった奴と喋った「いつも見てるよ」…嬉しかった。

10月、友達を集めて飲んだ。カラオケである曲が流れてきた。「ずっとともだち」不意に肩を強く抱かれた。思えば4年ぶりのカラオケだった。

12月、12年間ラグビーをやってきたあいつが出る試合を、もし負けたらあいつの引退試合になる試合を観に行った。

結果、引退試合になった。選手が客席に頭を下げた、僕の隣に座ってる奴が言った。

「これで俺たちの代の体育会は全員引退か…」

ふと横を見ると、そいつは泣いていた。

1月、湯沢にいった。スキーをした。鍋をした。夜中まで語り明かした。…気づけば初めての旅行だった。

2月。あいつが言った。

「お前が仕事はじめたとき、「そんなにチヤホヤされてえのかよ」と思ったけど、昔の仲間すげぇ大事にしてるから今は尊敬してるんだ」

よかった…。いまや、少なくとも周りの奴らは俺を認めてくれている。俺の仕事を認めてくれている。

ただ…。

ただ不安なんだ。

20年後、現在と同じように俺らは集まれるのか。これだけフラットな感情のままでいられるのか。競合会社にいくあなた達は、全てを打ち明けられるのか。同業となる俺らの笑顏の裏に仕事は絡んでいないか。

誰かの成功を心から祝える位置にそれぞれがいるのか。誰かの過ちを、皆で許す事ができるか。そして俺はその輪の中にいる人間になれているのか。

この一年「これが最後の最後」と思いながら過ごしてきた。だからせめてあとほんの少しだけ、あなた達とバカやっていたいんだ。

日に日に、“時”はせまってきている。

日に日に、“時”が削られていく。

ひとつひとつが、きっと最後。

もう、時間がない。
卒業まで、あとひと月。

もう、桜が舞い落ちる。

ーーーーーーーーーーーーーー

「17歳の櫻井翔へ」

17歳の俺。はじめまして。
32歳の私です。

そこから15年が経ち、
“俺”や“僕”ではなく
“私”を使うようになりました。
そのような機会が増えるという、
意外な状況に身を置いています。

背広を来ない仕事に
腹をくくったつもりでしたが、
背広を着る機会に恵まれているよ。
不思議なものです。

1999年。
嵐になる直前。

気に入っていたドレッドを、
ほどけと言われました、
必死に守り抜いてきた、
無遅刻無欠席が
急に叶わなくなりました。

“はぁ…。なんだこれ…。
とんでもないことに巻き込まれた。
辞めようと思っていたのに。”

そう思っていることと思います。
イラついて
ピリピリしていると思います。

でも。
そんな“【あなたの社会】への建て前”と
“自分の言い訳”を
鎧に纏っているものの。

自分でその道を選び、歩き始めます。
誰も背中なんか押しちゃいないのに。

結局のところ、
“夢”だったつーことかな。

不安だとは思う。

しかし。
不安が努力を突き動かす。

どうか頑張ってください。

「無理しないでね。」
人は言うかもしれません。

死ぬほど無理してください。
別に死にゃしないから。

こっちも未だに、
“これで本当に良かったのか”
おかっていません。
でも、まあ…。
“悪くはないかな”って
ところまでは来られたよ。
来られるよ。

人生は一方通行。

どうか。
ただ前だけを。

無理しないように。

2014年1月 櫻井翔

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2007年のTimeコンサート 最後の挨拶

櫻井翔さん(当時25歳)

「皆さん本日は本当に、本当に本当にありがとうございました。

この東京ドームという大きな箱で、一番奥の方までお客さんが入って応援してくれる姿を見ると、思い出す景色があります。僕たちがデビューして二、三年目くらいかな、やっばり全部の会場が全部のお客さんがいっぱい埋まるってことはなくて、空いてる席を見て、悔しくて悔しくてたまらなくて。それが今、こうしてこんなにお客さんがいっぱい集まてもらえるのを見ると、うれしくてうれしくてたまりません。皆さんどうもありがとう。

 

ただ、会場が多きいことが重要なんじゃないと思うんだよね。皆さんの気持ちの大きさ、愛情の大きさが僕たちにとって一番大きな糧だと思ってます。この会場でできることは素晴らしいと思う。これだけの人が一緒に集まれるなんて、本当に素晴らしいことだと思う。だけど、みんなが応援してくれる、そのひとりひとりの、ひとりひとりの、気持ちの大きさが、僕たちは一番うれしいです。

 

ここまでくるのに八年かかりましたが、八年経ってやっとやっとここに来れたことは、僕にとって今大きな誇りです。僕たちの八年は、恐らく間違ってなかったと、胸を張って、今この場で言えると思います。

 

皆さん、今日もここに立たせてくれて、みんな、ありがとうございました。楽しかったです。」

 

粗体简译:“……在我们出道大约第二、三年的时候,当然不是所有会场都能坐满观众。看到空席,我真的很不甘心,不甘心的心情无法抑制。看到现在可以聚集着如此之多的观众,真的非常开心。谢谢大家。……支持着我们的每一位每一位的心意,是最令我们感到高兴的。……我们一路走来到达这里用了八年时间,经历八年终于能站在这个地方,令我现在感到非常自豪。现在在这里,我想我可以抬头挺胸地说,至少我们的八年不是一个错误。……”

 

二宮和也さん(当時24歳) 

「皆さん今日は本当にどうもありがとうございました。

相葉君が泣いてましたね。でも本当に、嵐っていうグループはそういうことで、歌が下手かもしれないし、踊りも下手かもしれないし、しゃべることも面白くないかもしれないし。だけど、全部に、自分たちのやることを全部に、気持ちは入ってます。みんなが楽しんでくれりゃいいなとか、俺たちがこうやったらもっと楽しいかなとか、ずっとみんなのことを考えてコンサートをやっています。

 

負けねぇぞ、負けねぇぞ。ちょっと待ってくれ、今ビビったよ。大丈夫だよ、頑張ってるからな。

 

とにかく、スタッフの皆さん本当に長い夏でしたがどうも付き合っていただきありがとうございました。そしてMADをはじめとする、ジュニアそしてHey!Say!JUMPの皆さんも、本当にありがとうございました。そして何よりも、今日来てくれてお客さん、そして今までずっと夏を支えてくれた、僕らを支えてくれたファンの皆さんどうもありがとうございました。

 

寂しいかもしれないけど、嵐の夏は今日で終わります。だけど今日で終わるってことはまた新しい夏が来るってことで、もしかしたら夏じゃない、季節に皆さんに会えるかもしれません。それは僕らも頑張りますけど、おまえらもしっかり頑張るんだぞ。

 

僕はこうやってコンサートやって、僕はっていうか嵐はこうやってコンサートをやってるのが一番いい顔すると思うし、一番本当に楽しく嵐としていれられるんじゃないかなと僕は思っております。

 

どうかもっと皆さんで、この嵐をどんどんどんどん大きくして、会える回数を増やして、また皆さんと笑顔で再会しましょう。今日は本当にどうもありがとうございました。楽しかったです。」

 

粗体简译:“……ARASHI这个组合就是这样,可能不擅长唱歌,跳舞也不好,说话也谈不上多有趣,但是,所有的,我们做的所有事情都是全心全意带着感情去做的。……演唱会时一直想着大家。……然后,最重要的是今天到场的观众、支撑着这个夏季以及迄今为止声援着我们的fan们,真的谢谢大家。……虽然可能会觉得寂寞,但是ARASHI的夏季在今天就要结束了。但是,今天结束就意味着新的夏季还会到来,也许,在夏天之外的季节里也能和大家见面。我们会加油的,你们也给我好好加油噢!……我觉得举办这样的演唱会是最开心的,也许是作为ARASHI最快乐的。希望大家更加支持ARASHI,增加见面的机会,和大家笑着再会。”




 

关键词:不甘于现状的上进心,全力以赴,谦逊,坦荡,真诚,共情,常怀感激,沟通。

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