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Anaesthesia

We hid in deeper forests and fainted in the dark.

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【vol.54】塔之家

《Casa BRUTUS》 2016年2月号



櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



(背景)

訪れた場所 <塔の家>
1966年竣工。設計:東孝光。建築面積3.5坪(12㎡)の狭小住宅。地上5階、地下1階。1フロアに1ルームで、空間を縦に積むことにより構成されている。吹き抜け、レベル差、トップライト、飛び梁といった手法をコンクリート打ち放しの空間に巧みに配し、豊かな住空間を実現。都市住宅の在り方を提示した名作。●東京都渋谷区神宮前。
造访地点 塔之家
1966年竣工。设计者:东孝光。建筑面积3.5坪(12平方米)的小型住宅。地上5层,地下1层。每层一个房间,整体结构是纵向堆积。在混凝土原浆抹面的空间内,巧妙地采用楼梯竖井、水平高度差、天窗、飞梁等技巧,实现了内涵丰富的居住环境。塔之家是提出都市住宅理想状态的名作。●东京都涉谷区神宫前

設計した人 東孝光
あずまたかみつ 1933年生まれ。建築家。大阪大学工学部構築工学科卒業後、郵政省建築部、坂倉準三建築研究所を経て、66年独立。都市型住宅を数多く手がける。95年日本建築学会作品賞受賞。代表作に<粟辻邸>(ワットハウス)<さっき保育園>(大阪万博三井グループ館)。千葉工業大学教授、大阪大学名誉教授も務めた。2015年6月没。
设计者 东孝光
1933年出生。建筑家。毕业于大阪大学工学部建筑工学科毕业,曾就职于邮政省建筑部和坂仓准三建筑研究所,1966年独立。亲手设计了为数众多的都市型住宅。1995年荣获日本建筑学会最佳作品奖。代表作有粟辻邸(Watt House)与SAKKI托儿所(大阪世博会三井集团馆)。曾任千叶工业大学教授和大阪大学名誉教授。2015年6月逝世。

案内してくれた人 東利恵
あずまりえ 1959年生まれ。建築家、東 環境・建築研究所代表。84年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。86年コーネル大学建築学科大学院修了。星野リゾート<星のや>の各施設<軽井沢、竹福島、京都、富士>を設計。2016年開業のバリ、東京も手がける。昨年末には宮城県の女川駅前にテナント型商業施設が完成した。
导览 东利惠
1959年出生。建筑家。东 环境建筑研究所代表。1984年完成东京大学研究生院工学系研究科建筑学专业课程。1986年完成康奈尔大学建筑学科研究生院课程。设计了星野集团星之家项目的多处设施(轻井泽,竹富岛,京都,富士)。2016年开业的巴黎和东京项目也由东利惠一手操刀。去年年末完成了位于宫城县女川站前的租借型商业设施。



(导语)
vol.54 青山キラー通りに佇む、伝説の狭小住宅を訪ねる。
東京渋谷区
わずか6.2坪の敷地に建つ<塔の家>は、小さくも豊かな家を追求した狭小住宅の金字塔です。青山のキラー通りに誕生して今年で50年。清々しい姿で建ち続ける、伝説の住宅を訪ねました。
第54期  造访伫立于青山KILA大街的传说中的小型住宅。
东京涉谷区
塔之家是小型住宅的金字塔,它建造在区区6.2坪的地基之上,追求占地不大却内涵丰富的家庭住宅。塔之家诞生于青山KILA大街,至今已有50年。我们探访了这座外表简洁清爽的传说住宅。



(主体)

外苑前から千駄ヶ谷へと延びる青山のキラー通り。この通り沿いに戦後の日本住宅を語る上で欠かせない、伝説の狭小住宅がある。外観は右の写真の通り。住宅らしからぬ荒々しいコンクリート打ち放しの佇まいで、何度もこの道を通っているという櫻井さんもその存在に気づいていなかったそうだ。住宅の名は<塔の家>。敷地面積6.2坪(20㎡)に建つ、地上5階、地下1階の建物だ。1966年の竣工当時は辺りに低い住宅しかなく、名の通り塔のようにそびえ立っていたという。設計者は建築家の東孝光。坂倉準三建築研究所に勤めていた東は、自邸として<塔の家>を建て、独立。時は高度成長期の真っただ中。核家族が増え、郊外に小さな庭付きのマイホームを持つことが夢として語られる時代だった。それに逆行するように完成したこの家は、都市住宅の在り方を問うシンボリックな存在として、一躍有名になったのだった。
青山KILA大街从外苑前站向千驮谷延伸。沿街有一座在谈及战后日本住宅时不得不提的传说中的小型住宅。外观正如右侧照片。这座建筑不同于寻常住宅,保留着粗糙的混凝土原浆状态,据说就连曾无数次经过这条大街的樱井都从未留意到它的存在。住宅名为塔之家。建筑占地面积6.2坪(20平方米),地上5层,地下1层。据说1996年竣工时周围只有低矮住宅,这座建筑正如其名称,像高塔一般耸立着。设计者是建筑家东孝光。当时效力于坂仓准三建筑研究所的东孝光建造了作为自宅之用的塔之家,随后独立。时值高速发展期的鼎盛时期。随着核心家庭数量增加,那个时代的理想是拥有一座地处郊外且附带小庭院的自家住宅。这座家庭建筑与此相悖,作为探寻都市住宅理想状态的典范,一夜成名。

<塔の家>の玄関は歩道から数段上がった先にある。櫻井さんを出迎えてくれたのは、東の娘であり、この家で育った東利恵さん。同じく建築家として活躍ている。利恵さんが立つのはキッチン、見上げるとスコンと吹き抜けが広がっている。そう、玄関に直結している2階部分はキッチン・ダイニングであり、リビング。靴を脱いだ途端、家の中心部に招かれるのだ。「なんだかすごいです……」と空間に目をやる櫻井さん。「写真で見るよりずっとコンパクト。でも窓から光が差して、吹き抜けがあって、単純に”狭い”というのとは少し違う感覚です」.
从人行道登上数级台阶,来到塔之家的玄关。前来欢迎樱井的是东孝光的女儿东利惠,她在这里长大成人。东利惠同是一位建筑家。利惠站在厨房里,抬头仰望,楼梯竖井在眼前延伸。没错,与玄关直接相连的2层是一体化的厨房餐厅,还有客厅。樱井脱鞋时,利惠在家的中间招呼他过去。朝建筑里看去的樱井说:“不禁觉得好厉害……。”“比起在照片里看到的,紧密得多。但是阳光从窗户照射进来,还有楼梯竖井,又不能简单地说成是‘狭小’的感觉。”

気配は伝わる、日本的な住空間。
传递动静的日本式居住环境。

利恵さんに案内され、階段を上る櫻井さん。<塔の家>は1フロア1ルーム。3階はバス・トイレ、4階は寝室、5階は個室で、幼いころの利恵さんは5階を子供部屋としていた。「ベッドに寝転がると窓の外に青山の空が見えるんです。当時は表参道辺りまで見渡せて、とても眺めがよかったですね。今は周辺にビルが増えましたが、軒を出し視界を遮っているため、外から覗かれているような感覚はなく、不思議と落ち着きます」。階段には小さな窓があり、フロアごとに風景が変わるのも楽しい。<塔の家>に設けられた窓は計11。東西南北さまざまな角度から光が差すよう計算されている。
樱井在利惠的陪同下登上楼梯。塔之家的结构是一层一个房间。3层是浴室和洗手间,4层是卧室,5层是单间,利惠年幼时5层是儿童房。“随意躺着就能见到窗外青山的天空。当时放眼望去能看到表参道,视野非常棒呢。虽然如今周围建筑物增多,但是因为探出的屋檐遮挡住视线,不会有被人从外部窥视的感觉,能不可思议般地平静下来。”楼梯处有小窗,风景随着层数不同而变化,非常有趣。塔之家共设11扇窗。这样的精心考虑是为了让光线从东南西北各个角度照进房间。

また窓の多さとは対照的に、間仕切りがまったくないのもこの家の特徴だ。「プライバシーはどう確保していたのですか?」と櫻井さん。すると利恵さんは日本的な空間の隔て方について話してくれた。「例えば障子は、閉めることで視線は遮りつつ、気配はかすかに伝えてくれる、日本独特の空間の隔て方です。塔の家もそれに似ていて、フロアが違えば視線は届かないけれど、音は聞こえるので気配は感じる。だから幼いころは部屋で漫画を読んでいても、母が階段を上がってくる音がしたら急に宿題をし始めたり(笑)。プライバシーがないと感じたことはありませんでしたね」。またお互いを察しながら暮らすことがコミュニケーションの始まりだとも。「勉強中に両親がテレビを見ていたら、私も参加するか、宿題をしているから音を小さくしてと言うか、どちらかなんです。欧米住宅のようにパタンと扉を閉めるわけにはいかない。でもそれが人とのコミュニケーションの第一歩でもある」。そう聞き、「住まいが生活のスタイルを決めていくんですね」と納得した櫻井さん。利恵さんの話から伝説の狭小住宅での暮らしが見えてきた。
此外,与许多窗户形成对照的是房间之间完全没有隔断,这也是这座家庭建筑的特征。樱井问道:“以前如何确保个人隐私呢?”利惠就此对我们讲述了日本式的空间隔断方式。“以木框糊纸的拉门为例,虽然关闭时可以遮挡视线,但是隐约能感受到动静,这是日本独有的空间隔断方式。塔之家与此类似,尽管视线无法到达不同的楼层,但是因为可以听到声音,所以动静也能传递。因此,小时候就算在房间里看漫画,一旦听到母亲上楼梯的声音,马上就开始写作业,也有这样的事(笑)。我没感到过缺乏个人隐私呢。”互相体谅和理解着生活必定是沟通的起始。“如果父母在我学习时看电视,我要么就一起看,要么就会说我在写作业,音量调小一点噢。不能像欧美住宅那样关起门来。但是这也是与人交流的第一步。”听完这些,樱井认同地说道:“所以居所会决定生活方式呢。”通过利惠的描述,我们能想象出在这座传说中的小型住宅内的生活。

仕事と暮らしが一致した住まい。
工作与生活的共同场所。

では、東自身はこの家にどんな思いを込めたのだろうか?「父がこの家で目指したのは、住むところと働くところが近いという、自らの人生経験から導いた都市生活の在り方でした。」と利恵さん。大阪の街中で育った東夫妻、特に妻の節子さんは商家の娘。働くことの中に生活があるのが当然だった二人に、郊外のベッドタウンに寝に帰り、満員電車で通勤するという生活は不自然に思えた。都市にとどまりたいという東の思いに共感した櫻井さん。「僕も物心ついてからずっと都内で暮らしています。なので、田舎でゆっくり暮らしたい欲求はないんですよね」。近所に公園の緑があり、人を招けるレストランがあり、遅く帰宅しても街に活気がある。そんな都心の生活を東夫妻は愛していた。「マンションは嫌だったようですね。土に接していたい。そうでないと自分のものと思えないと言っていました」。
那么,东一家对这座家庭住宅是如何看待的呢?利惠说:“父亲建造这座家庭建筑的目标是,通过自己的人生经验引导都市生活的理想状态,让居住地与工作地靠近。”东家夫妇成长于住宅和商店聚集的街道,特别是太太节子,她是商人的女儿。对于认为生活中包含工作是理所当然的两人而言,在郊外的住宅城休息一晚、再搭乘拥挤的电车上下班的生活状态并不自然。对于东家夫妇想留在都市里生活的想法,樱井深有同感。“我也是从懂事起一直生活在东京都内。所以没有想在乡下悠闲度日的想法呢。”附近有公园绿地,有接待客人的餐厅,即使很晚回家,街上也充满生气。东家夫妻热爱这样的都市中心生活。“他好像不喜欢高级公寓,想要亲近土地。父亲说,如果不这样做,就不觉得这是自己的地方。”

キラー通りは64年の東京オリンピックの際、道路拡張によって生まれた道だ。強引に斜めに道を通した結果、両側の土地はすべて三角形地帯になってしまった。「その三角形の土地を交渉して半分にし、ようやくの思いで6坪の土地を手に入れた父は、”この土に住む”ということだけを懸命に見つめて家を建てました」。空間を上下に広げ、吹き抜け、採光、床のレベル差などのテクニックをちりばめ、延床面積65㎡の豊かな暮らしの実現した<塔の家>。歴史に刻まれた名作住宅は、今も国内外から見学者が絶えない。
KILA大街是1964年东京奥运会之际因道路扩建而产生的一条路。由于强行通过斜坡道路,导致两侧土地全都成为了三角形地带。“父亲就那片三角形土地进行交涉,分成一半,总算拿到了6坪的土地。他为了'住在这片土地上'这件事而努力,建起了这个家。”塔之家内,上下延展的空间、楼梯竖井、采光、地板水平高度差等技巧点缀其间,实现了建筑面积65平方米的丰富生活。这座镌刻着历史的住宅建筑名作中,来自国内外的参观学习者如今也络绎不绝。



(参观感想)
title:空間がコミュニケーションを変えるんですね。
写真から想像していたより、ずっとコンパクトな空間でした。空間を上下に延ばして快適さを得るという発想にも驚きましたし、ここまでしてでも都心に住むんだ!という東孝光さんの強い意志を感じました。実際、暮らすとなると……慣れていない人には大変だとは思います(笑)。でも訪れてみて、家のカタチに応じて、生き方も変わっていくのだなと実感できたし、空間に合わせてコミュニケーションが生まれる話も面白かった。2階のキッチン・ダイニングでお好み焼きパーティーをしたという話も聞きましたが、楽しそうだなぁと。その距離感だから生まれる会話もあるだろうし、広けりゃいいってもんじゃない。そんなことに気づかされました。
标题:原来空间能改变沟通啊。
空间远比通过照片想象出的紧密。通过上下延伸空间而获得舒适感的主意令人惊叹,感受到了东孝光先生“即便如此也要住在都市中心!”的强烈意向。真住下来的话……我觉得不适应的人会觉得有够受的(笑)。但是试着探访一下就会真实感受到,为了适应家庭建筑的形态,生活方式也随之变化。由空间而产生沟通的观点也非常有意思。听说在2楼的厨房餐厅办过御好烧派对,感觉很开心的样子啊。大概会有正因这样的距离感才产生的对话,并不是说越大就越好。留心到了这一点。



(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書「Casa BRUTUS特別編集都市型住宅に住む。」
都市型住宅の好例をまとめた特別編集号。伝説の狭小住宅として、2004年当時の<塔の家>の内部も紹介している。取材時の東孝光さんの言葉も今となっては貴重だ。(マガジンハウス/1,200円)
樱井本月的课题图书《Casa BRUTUS 居住于都市型住宅特别版》
特刊总结归纳了都市型住宅的成功案例。2004年时,塔之家作为传说中的小型住宅,对其内部也进行了介绍。采访过程中东孝光所讲述的内容,现在看来十分珍贵。(MAGAZINE HOUSE 出版,1200日元)



(简介)
さくらいしょう
 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマに俳優として出演する一方、報道番組「NEWS ZERO」のキャスターも務めるなど、幅広く活躍している。司会を担当する情報バラエティー番組「櫻井有吉アブナイ夜会」(TBS)は毎週木曜22時から好評放映中。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。作为演员出演电影和电视的同时,也担任新闻节目NEWS ZERO的主播,广泛活跃于多种场合。樱井主持的信息类综艺节目“樱井有吉危险夜会”(TBS)每周四晚22点播出。 

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