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We hid in deeper forests and fainted in the dark.
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《Casa BRUTUS》2013年11月号
櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。
(背景)
今回訪れた場所 築地本願寺
1617年創建。現在の建物は1934年竣工。設計:伊東忠太。京都・西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院。関東大震災で焼失した寺院を第22代宗主・大谷光瑞と交流のあった伊東忠太が設計。●東京都中央区築地3ー15ー1 ☎03・3541・1131。本堂拝観6時~17時30分。拝観自由。
本次造访地点 筑地本愿寺
寺院始建于1617年。现在的建筑物于1934年竣工。设计者:伊东忠太。寺院属于总院位于京都西本愿寺的净土真宗本愿寺流派。与第22代宗主大谷光瑞有过往来的伊东忠太设计了这座因关东大地震而烧毁的寺院。●东京都中央区筑地3-15-1 ☎03-3541-1131。寺院正殿参观时间为6点至17点30分。自由参观。
設計した人 伊東忠太
1867年山形県生まれ。帝国大学工科大学にて建築を学び、後に東京帝国大学名誉教授に。法隆寺が日本最古の木造建築だと説き、日本建築史を創始した。「造家」という呼び名を改め、「建築」という言葉を作った人物でもある。1943年、建築界で初めて文化勲章を受章。代表作は<明治神宮><大倉集古館>など。
设计者 伊东忠太
1867年生于山形县。曾在帝国大学工科大学学习建筑,后任东京帝国大学名誉教授。他宣称法隆寺是日本最古老的木结构建筑,开创了日本建筑历史。他也是改变了“造家”的通称,创造了“建筑”一词的人物。1943年成为第一位获得文化勋章的建筑界人士。代表作有明治神宫和大仓集古馆,等等。
(导语)
vol.29 築地に建つ摩訶不思議な伊東忠太ワールドへ!
前回訪れた<東京都慰霊堂>に続き、再び巨匠・伊東忠太の建築を訪れた櫻井さん。「築地」という地名の由来にもなっている<築地本願寺>は、外から眺めるとインド仏教式、ひとたび中に入れば純日本式という、伊東らしいパラレルワールドでした。
第29期 造访伊东忠太建在筑地的不可思议世界!
樱井继上次参观东京慰灵堂之后,再次造访大师伊东忠太的建筑。“筑地”这一地名出自筑地本愿寺,据说寺院从外看是印度佛教形式,一旦进到内部就会呈现纯正的日本形式,是极具伊东风格的平行世界。
(主体)
地を築くと書いて、築地。この地名には今回訪れた<築地本願寺>が深く関係している。<築地本願寺>が創建されたのは江戸初期のこと。もともとは浅草近くに寺院があったが、1657年、江戸の大半を焼きつくした明暦の大火で焼失し、幕府から新しく与えられた土地が現在の築地だった。しかし、当時の築地は江戸湊に面した藻が茂る浅瀬。文字通り、土地を埋め立て築くことから再建が始まったのだ。
筑地,建造出来的土地。这个地名与本次造访的筑地本愿寺之间有着很深的联系。筑地本愿寺始建于江户初期。1657年,明历大火灾烧尽了大半个江户城,最初位于浅草附近的寺院也被烧毁,从幕府批到的土地成为了现在的筑地。但是,当时的筑地是面对江户港口、藻类茂盛的浅滩。正如文字一样,重建始于填埋土地建造陆地。
現在の建物が築地に姿を現したのは、江戸時代の引っ越しからおよそ250年後。1923年に起きた関東大震災で再び焼失した寺院を建て直したときだ。設計は、前回の連載で訪れた<東京都慰霊堂>と同じく、建築家の伊藤忠太。依頼主である第22代宗主・大谷光瑞がよき理解者となり、伊東はのびのびと仕事をし、自身の代表作ともいえる摩訶不思議な建築を残した。より深く濃い伊東ワールドを堪能するべく、早速櫻井さんは寺院に足を踏み入れた。
现在的建筑物重现筑地是在江户时代的搬迁后约250年之后的事情。那是1923年发生的关东大地震再次烧毁寺院的时候。寺院设计者与上次连载中造访过的东京慰灵堂的设计者是同一位,即建筑家伊藤忠太。伊东充分理解了委托人第22代宗主大谷光瑞,循序渐进地开展工作,留下了这座足以称为自身代表作的不可思议的建筑。为了领略更具特色的伊东世界,樱井马上进入寺院。
<築地本願寺>の外観は独特だ。インド仏教建築の特徴である、アジャンター式ドームを本堂の正面に掲げ、左右に仏舎利塔に似た塔屋が高くそびえる。門や塔、仏殿などを敷地に配した寺院建築の「七堂伽藍」の形式をとらず、すべては講堂のような巨大な建物の内部にまとめられている。「不思議な迫力がありますね」とその佇まいを眺める櫻井さん。「拝観は自由なのですが、やはり入るのに躊躇される方も多いようです」と主任の大辻子順紀さんもうなずくが、ではなぜ伊東はあえて日本古来の寺院に見えない建物を建てる必要があったのか。
筑地本愿寺的外观十分独特。极具印度佛教建筑特征的阿旃陀式圆形拱顶出现在正殿正面,左右高高地耸立着类似舍利塔的小亭子。寺院建没有采用将土地用作门、塔、佛殿等部分的七堂伽蓝形式,而是将所有部分统一纳入讲堂般的巨大建筑物内部。樱井眺望着这种氛围,感叹道:“有着不可思议的气势呢”。负责人大辻子顺纪也点头说道:“虽说是自由参观,但是好像不少人进来时都有些踌躇。”那么,伊东决心建造这种自古以来在日本寺院中从未见过的建筑,原因何在呢?
依頼主・大谷と挑んだ新たな仏教建築。
与委托人大谷一同挑战新式佛教建筑。
「それには依頼主であった大谷光瑞の影響が大きかったのではないでしょうか」と大辻子さんは言う。大谷と伊藤の出会いは<築地本願寺>の再建より30年ほど前。それぞれにシルクロードを旅している最中だった。仏教の源流であるインドをこの目で見たいと考えた大谷は、弟子たちと一緒に大谷探検隊を結成し旅に赴く。時同じくして伊東も、世界の建築を知るための留学という名目で、アジアからヨーロッパにかけて3年間に及ぶ放浪の旅に出かけていた。正確には、伊東は大谷の弟子である探検隊メンバーと遭遇し、帰国後に大谷本人と顔を合わせることになる。二人は意気投合し、大谷の自邸<二楽荘>や<真宗信徒生命保険会社>の設計を経て<築地本願寺>の再建へとつながっていった。
大辻子说:“也许是作为委托人的大谷光瑞对此影响颇大。”大谷和伊藤的相遇是在筑地本愿寺重建之前的30年。当时两人各自都正在丝绸之路旅行的途中。大谷想要亲眼看看佛教的起源地印度,于是和弟子共同组成大谷探险队,踏上旅途。以此同时,伊东以游览世界各地建筑为名留学,开始了横跨亚欧大陆、长达3年的流浪之旅。准确地说,伊东遇到了身为大谷徒弟的探险队成员,并且在回国之后与大谷本人相见。两人意气相投,大谷的自宅二乐庄与真宗信徒人身保险公司等设计与筑地本愿寺的重建项目紧密相关。
「大谷は大変な浪費家で、新しもの好きの豪快な人物でした。山の上に建てた自邸へアクセスするために日本で初めてのケーブルカーをつくったり、海外からレタスを日本に持ち帰ったのも大谷だと言われています」と大辻子さん。伊東は再建にあたって3つの設計案を大谷に提出する。その中には伝統的な和風仏堂造りのプランもあったようだ。しかし、あえて現在の設計案を選んだのは、世界を見て歩き、新しい仏教建築を切り開こうとした大谷の感性があってこそだろう。
大辻子说:“大谷是个铺张浪费、喜好新鲜事物、性格豪爽的人。据说,大谷为了给建在山上的自宅铺设道路而建造了日本第一座缆车,将莴苣从海外带回日本的也是大谷。”伊东重建寺院之际,向大谷提出了3套设计方案。据说其中也包括一套传统的日式佛殿建造计划。但是,偏偏选择了现在的这套设计方案,正是周游过世界、想要开辟新型佛教建筑风格的大谷的感性所在吧。
その一方で、本堂の内部は純日本式なのが面白い。白亜の柱が並び、正面には阿弥陀如来像を安置するが輝く。「本堂に入るとここが寺院だということが実感できますね」と櫻井さん。2012年に1年9か月の修復を終えた宮殿はまばゆいばかりの光を放っている。だが、この本堂内にも大谷と伊東の新しい試みがあった。「現代人にとっては驚きは少ないかもしれませんが、土足のまま入れる本堂は当時としては異例。椅子が並べられているのも前代未聞だったんです」と大辻子さん。関東大震災から11年、新たな姿で再建された<築地本願寺>には賛否両論が飛び交った。落慶法要にはこの摩訶不思議な寺院を見ようと人々が詰めかけ、皇族や閣僚までもが祝辞を述べに訪れたという。伊東と大谷が目指した新しい仏教建築は、人々を仰天させた後、ゆっくりと時間をかけて東京の新たなシンボルとして認知されていったのだ。
另一方面,寺院正殿的内部却是纯正的日本风格,非常有趣。白色土的柱子排列,安置在正面的阿弥陀如来佛像熠熠生辉。樱井说:“一进入正殿,马上切实地感受到这里是寺院。”为期1年零9个月的修复工程于2012年结束,宫殿焕发出耀眼的光彩。可是,这座正殿之内还有大谷与伊东做的新尝试。大辻子说:“现代人也许不会太吃惊,但在当时却没有穿着鞋子进入正殿的前例。摆放椅子也是前所未有的。”关东大地震11年后,对于以新姿态重建起来的筑地本愿寺,一时议论四起,毁誉参半。据说在落成开光庆典上,为了一睹这座不可思议的寺院,人们蜂拥而至,甚至连皇室成员和部长阁僚都莅临致贺词。伊东与大谷希望中的新式佛教建筑在震惊世人之后,经过一段时间,终于作为东京的新象征得到了广泛认可。
建築に棲みつく伊東の動物彫刻。
与建筑相伴的动物雕刻。
さて、宗主・大谷光瑞の大きな影響を感じる<築地本願寺>だが、理解ある依頼主のもとで伊東は楽しんで設計をしたのだろう。お馴染みの動物彫刻を随所に見つけることができる。石造りの大階段の左右に鎮座するのは、翼を持った獅子。片方は口を開け、片方はぎゅっと口をつぐんだ阿吽の像だ。これは日本の仏教建築にのみ見られるもの。狛犬ならぬ、想像の獅子が出迎えてくれるのだ。続いて本堂エントランスの左右に延びる階段を下りると、獅子、馬、象、朱雀、猿と、手すりや壁に計6匹の動物が潜んでいる。「前回の<東京慰霊堂>に比べて可愛らしさがありますね」と櫻井さん。丸みを帯びたシルエットに愛嬌がある。
虽然筑地本愿寺受到了宗主大谷光瑞的巨大影响,但是在理解委托人的前提下,伊东的建筑设计过程想必是顺利推进的吧。熟悉的动物雕刻在这里随处可见。端坐在石制宽幅楼梯左右的,是长着翅膀的狮子。一侧的狮子张着嘴,另一侧是紧闭着嘴的阿吽雕像。这是只有在日本佛教建筑中才能见到的东西。在外迎客的并非石狮子,而是想象中的狮子。继续向前,走下延伸至正殿入口左右的楼梯,狮子、马、大象、朱雀和猴子,在扶手栏杆和墙壁上潜伏着共计6只动物。樱井说:“与之前的东京慰灵堂相比,有着可爱的感觉。”圆圆的轮廓外形中透露出可爱。
<築地本願寺>をはじめ、<明治神宮>や<靖国神社神門>など宗教に関わる建築を数多く手がけた伊東忠太。それらを訪れて感じるのは、宗教を超えた大らかさだ。依頼主に寄り添いながら宗教建築を残した巨匠にとって最も重要だったのは、もしかするとこの微笑ましい動物たちなのかもしれない。
以筑地本愿寺为代表,伊东忠太亲自设计了众多的宗教建筑,例如明治神宫和靖国神社神门等。造访这些建筑之后感到的,是超越宗教的豁达。对于一边接近委托人的想法、一边留下宗教建筑的大师而言,最重要的也许是这些勾起人们微笑的动物吧。
(参观感想)
title:巨匠のチャレンジ精神に圧倒されました。
インドやカンボジアを訪れたことがあったので、随所に異国の建築との共通点を見つけられて面白かったです。それにしても伊東忠太はチャレンジングな人だなと。寺院にステンドグラスを飾ったり、靴で上がる本堂をつくったり、周囲から先生と呼ばれる大建築家になっても果敢に新しいことを試みている。そのクリエイティビティーに驚かされました。前回の東京都慰霊堂と共通点が多かったですが、違いを感じたのは空間の華やかさ。東京都慰霊堂は厳かな雰囲気でしたが、ここ築地本願寺は人々が集う場所特有のエンターテインメントな空気がありました。毎回思うことですが、きっとここも外国人の友人が喜ぶはずなので、案内してみたいです。
标题:大师的挑战精神令人钦佩。
我去过印度和柬埔寨,发现这里与异国建筑的相通之处随处可见,觉得非常有趣。而且觉得伊东忠太真是喜欢挑战的人啊。用彩色玻璃装饰寺院、穿着鞋子进入正殿等等,即便成为了受周围人敬仰的知名建筑师,依然继续果断地尝试新想法。这种创造力令我非常惊叹。寺院与之前拜访的东京都慰灵堂之间存在许多相似的地方,但不同之处在于建筑的华美程度。东京都慰灵堂充满着庄严的氛围,而筑地本愿寺这里则有着人群聚集处所特有的娱乐气氛。我每次都想着,外国朋友一定也很喜欢这里,想带他们来看看呢。
(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『伊東忠太動物園』
建築に残る動物や幻獸の装飾から伊東忠太をひもとく。建築史家・藤森照信の軽妙な文章が、その人物像を豊かに広げてくれる。『怪奇図案集』から伊東直筆の妖怪画も多数収録(築摩書房/絕版)。
樱井本月的课题图书 《伊东忠太动物园》
通过留存在建筑中的动物与幻想怪兽的装饰来解读伊东忠太。建筑史学家藤森照信以轻快的笔触为我们丰富地展现出这位人物。《怪奇图案集》中收录了许多伊东亲笔描绘的妖怪画像(筑摩书房/绝版)。
(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。バラエティー番組『今、この顔がスゴイ!』(TBS)では司会を務める。11月からは5大ドームを巡る嵐の全国ツアーがスタート。2014年には映画『神様のカルテ2』の公開が控えている。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。在新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。在综艺节目“当下最in颜”(TBS)中担任主持。岚的5大巨蛋全国巡回演唱会从11月起开始。2014年电影“神的病例簿2”将公开上映。
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最后一页右上角。从端肩姿势中透露出的一点紧张感,到饱含兴奋的笑容中那略微的不知所措,完全是一位朴素的游客,真可爱♥