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Anaesthesia

We hid in deeper forests and fainted in the dark.

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【vol.50】千鸟渊公墓


《Casa BRUTUS》2015年09月号

櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。

東京都千代田区
东京都千代田区

(背景)

訪れた場所 千鳥ケ淵戦没者墓苑
1959年竣工。設計:谷口吉郎。海外戦地で亡くなった戦没者のうち、遺族が判明しなかった遺骨を奉安する、環境省管轄の国の施設。●東京都千代田区三番町2 ☎03・3262・2300。9時~17時(10月~3月は~16時)。無休。
造访地点 千鸟渊公墓
1959年竣工。设计者:谷口吉郎。该建筑供奉着海外战地阵亡将士中无法判断身份者的遗骨,是由环境省管辖的国家级设施。●东京都千代田区三番町2 ☎03-3262-2300。开放时间:9点至17点(10月至来年3月到16点)。法定节假日照常开放。

設計した人 谷口吉郎
たにぐちよしろう 1904年、石川県金沢市生まれ。東京帝国大学で建築を学ぶ。代表作に<東京国立近代美術館><東京御所><ホテルオークラ東京>など。博物館明治村の初代館長も務めた。建築家の谷口吉生は息子。1979年没。
设计者 谷口吉郎
1904年生于石川县金泽市。在东京帝国大学学习建筑。代表作有东京国立近代美术馆、东京皇居御所与东京大仓酒店等。曾任博物馆明治村首任馆长。其子是建筑家谷口吉生。1979年逝世。

(导语)
vol.50 谷口吉郎と菊竹清訓の建築から戦後70年を考える。
戦後70年を迎える今夏。櫻井さんと訪ねたのは、谷口吉郎設計の<千鳥ケ淵戦没者墓苑>と菊竹清訓設計の<昭和館>です。薄れゆく戦争の記憶を今に伝える2つの重要な施設。2人の建築家がそれぞれの場所に込めた思いを探ります。
第50期 通过谷口吉郎与菊竹清训的建筑来思考战后70年。
今年夏季迎来了战后70周年。樱井造访的是谷口吉郎设计的千鸟渊公墓和菊竹清训设计的昭和馆。这两座重要设施至今仍讲述着正逐渐淡去的、关于战争的记忆。

(主体)

先の大戦後、戦没者を追悼するために国内外に多くの墓苑や慰霊堂が建てられた。これらに建築家が関わっていることを知っているだろうか?硫黄島戦没者の碑や沖縄戦没者慰霊碑は谷口吉郎が、ボルネオ戦没者の碑やニューギニア戦没者の碑は菊竹清訓が手がけ、これ以外の多くも主にこの2人が設計している。櫻井さんが今回訪れた2つも、この2人の巨匠が手がけた場所。まずは谷口が“沈思と安息の場”を目指して設計した<千鳥ケ淵戦没者墓苑>へ向かった。
第二次世界大战之后,在国内外建造了众多公墓和慰灵碑以追悼阵亡将士。大家知道与这些建筑息息相关的建筑家吗?硫磺岛战役阵亡将士纪念碑和冲绳战役阵亡将士慰灵碑由谷口吉郎负责,巴厘巴板战役阵亡将士纪念碑与新几内亚战役阵亡将士纪念碑则出自菊竹清训之手,此外许多同类建筑几乎都是由两位设计。樱井此次参观的两座建筑也是这两位建筑泰斗亲自设计的作品。首先前往千鸟渊公墓,这里是谷口本着建造一处“沉思与安息之地”而进行设计的。

水と緑が包み込む、静寂の場。
由水与绿色环绕的静寂之处。

<千鳥ケ淵戦没者墓苑>が完成したのは1959年。太平洋戦争において亡くなった人々の遺骨から、氏名が特定できないものや遺族が不明なものが納められている。「緑に囲まれたとても静かな場所ですね」と、静寂の空気の中、ゆっくりと敷地の奥へ進む櫻井さん。谷口は動線に気を配り、2つの入口から伸びた歩道を六角堂の正面にまとめ、献花台へ真っすぐに歩いていけるよう考えた。<千鳥ケ淵戦没者墓苑>は宗教性のない施設だが、献花台へと歩きながら自然と心が集中していく、巧みな設計だ。
千鸟渊公墓建成于1959年。这里收留着在太平洋战争中阵亡并且无法确定死者姓名或死者家属不明的人的遗骨。“这里被绿色包围,非常安静呢。”在静寂的氛围中,樱井慢慢步入建筑内部。谷口特别留意了动线,步道从两个入口开始延伸,在六角堂正面汇合,人在移动时可朝献花台笔直走去。千鸟渊公墓虽非宗教建筑,但是经过巧妙设计,人在走向献花台的过程中,精神自然而然地就在逐渐集中。

六角堂に安置されているのは、重さ4トンにもなる備前焼の陶棺。これも谷口が精魂込めて準備したもので、華北や南朝鮮など各戦地の地を練り込んだほか、制作には備前焼工員の中から戦争から無事帰還した者や戦争で家族を亡くした遺族らが携わったという。
六角堂内安置的是重达4吨之多的备前烧陶棺。这也是谷口倾尽精力准备的物品,据说除了在当中融入来自华北和韩国等多处战地的土壤之外,还从备前烧工人之中挑选那些在战争中幸免于难的员工和失去家属的员工参与制作。

「遺骨収集は今もなお続いています」と戦没者墓苑奉仕会理事長の若松重英さん。「今年5月にも2948柱の遺骨が加わり、全部で36万2570柱となりました。地下3階の納骨室は、平成3年、12年、25年と3度にわたって拡張を続けています」。それを聞き櫻井さんは、8月4日に放映された『教科書で学べない戦争』(日本テレビ)でパプアニューギニアの都市、ラバウルで遺骨収集にあたったときのことを話してくれた。「僕らは短い滞在にもかかわらず、わずかではありますが、奇跡的に遺骨を収集することができました。でもそれは僕が想像していたものとは違って、骨かどうかわからないほど本当に小さなかけらでした」。
“收集战士遗骸的工作如今仍在进行。”公墓服务会负责人若松重英先生说道。“今年5月又增加了2948件遗骨,总共是36万2570件。地下3层的纳骨室正在不断扩建,工程跨越平成3年、12年和25年”。听到这个,樱井谈起了8月4日播出的《教科书中学不到的战争》(日本电视台)中在巴布亚新几内亚城市拉包尔收集遗骸时的事情。“尽管我们停留的时间很短暂,但是奇迹般地成功找到了遗骨。然而与我以前想象的不同,是小得难以分辨是否真是骨头的碎片。”

献花を終え、振り返って墓苑を見渡す櫻井さん。武蔵野の常緑樹を主体とした造園は、近代造園の父と呼ばれた田村剛にようるもの。竣工時は1800本だった樹木は4000本にまで増え、すっぽりと六角堂を包んでいる。訪れる人は年間約15万人。「果たして多いのか、少ないのか。私には少なく感じられます」と若松さんは話してくれた。
献花结束,樱井回头放眼眺望公墓。以武藏野的常青树为主体而营造出来的庭院,出自田村刚之手,他被称为近代造园之父。竣工时的1800棵树如今增加到多达4000棵,郁郁葱葱地围绕着六角堂。到访者每年约15万人次。若松先生对我们说:“这个数字究竟算多还是少呢。在我看来是少的。”

市井の人の暮らしから戦争を知る。
通过普通人的生活来理解战争。

続いて櫻井さんは九段下の交差点に建つ<昭和館>へ。ここは日本遺族会の要望で1999年に誕生した施設。設計は菊竹清訓だ。昭和10年ごろ~30年ごろ、つまり戦前から戦後にかけての国民生活を伝える資料を展示するほか、図書室や映像・音響室も備わっている。資料保存の観点から建物に窓はなく、柔らかくカーブを描く外壁をチタン折板パネルが覆う、ストライプの外観が特徴的だ。
随后,樱井前往了建于九段下十字路口处的昭和馆。此处设施应日本遇难者家属协会的迫切期望而建,1999年完成。设计者是菊竹清训。除了展出从昭和10年直至昭和30年(即跨越战前战后)国民生活的资料之外,还配备了阅览室与影像资料和音响室。基于保存资料的考虑,建筑物中没有窗户,钛制遮板覆盖着拥有柔和曲线的外侧壁面,条纹外观是其特征。

「ラバウルの慰霊堂も菊竹清訓さんの設計でした。こちらはより現代的なイメージですね」と櫻井さん。2階の広場はパブリックスペースで、現在は自由に観覧できるパネル展示が行われている。メインとなる常設展示室は6階と7階。実際に使用されていた食器や衣類、豊富な写真で当時の暮らしぶりが紹介されている。
樱井说:“拉包尔的慰灵堂也是菊竹清训先生的设计。但这里给人的印象更加现代化。”2层的广场是公共空间,现在正在举办可供自由参观的嵌板展览。主要的常设展览厅位于6层和7层。通过实际使用的餐具、衣服和丰富的照片材料介绍当时的日常生活状况。

「仕事で戦争にまつわる資料に触れることは多いのですが、実物展示は情報量が違う。当時の切迫した空気が伝わってきます。アメリカ軍が撮影したというカラーの写真が残っていることにも驚きました」と櫻井さん。かつては戦争体験者が自ら資料を持ってくることが多かったと学芸員の財満幸恵さんは言うが、終戦から70年たち、それも随分と少なくなったという。
樱井说:“虽然由于工作经常可以接触到关于战争的资料,但是实物展览的信息量却不同。向我们展现了那时的紧张氛围。彩色照片据说是美国士兵拍摄的,竟然遗留下来了,这也让我很惊讶。”展览策划人财满幸惠小姐说,从前有很多经历过战争的人亲自送来资料,但是现在,战争结束已经70年了,这样的事也越来越少了。

「僕らは戦争体験者からじかに話が聞ける最後の世代。2つの場所を訪れて危機感がさらに強まりました。」櫻井さんが感じている危機感は、現代を生きる私たちに共通した感覚だろう。<昭和館>の役割は終戦から時間がたつほどに、一層重要度が増していくはずだ。現在、館内では企画展『昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~』が開催されている。戦後70年を迎えるこの夏、ぜひ一度足を運んでみたい。
“我们是最后一代能够直接听战争经历者讲述故事的人了。在参观了两处地方之后,这样的危机感更加强烈了。”樱井感到的危机,想必也是生活在现代的我们所共有的感觉吧。距离战争结束的时点越来越远,昭和馆的作用应当随之变得更加重要。现在,馆内正在举行名为《昭和20年:空袭、终战以及复兴》的展览。在迎来战后第70年的今年夏季,请各位务必前往参观。


(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『谷口吉郎の世界』
1997年に開催された「谷口吉郎展」に合わせて刊行。56の作品を写真、図面など豊富な資料で紹介する。藤森照信、隈研吾、藤岡洋保による鼎談など、テキストも読み応えがある(彰国社)。
樱井本月的课题图书 《谷口吉郎的世界》
该书是配合1997年举办的《谷口吉郎展览》而发行的刊物。通过照片和设计图等丰富的资料结束扫了56件作品。还记录了藤森照信、隈研吾和藤冈洋保之间的三人交谈等,文本也值得一读(彰国社)。

(参观感想)
title:戦争と向き合える静寂の場所でした。
今回初めて、建築家が数多くの墓苑や慰霊碑を手がけていると知りました。谷口さんの千鳥ケ淵戦没者墓苑は喧騒とは無縁の空間で、戦没者の方々に向き合うことができる場所。菊竹さんの昭和館は市井の人の暮らしから戦争を知ることができる場所。貴重な資料がこれほどあるとは。以前ドラマ『ブラックボード』をやらせていただいたとき、ここにも来ればよかったです。ラバウルの慰霊碑も菊竹さんの設計でしたが、それは開けた大地に日本の方角に向いて碑が立つ、祖国への思いを強く感じる碑でした。戦争体験者が少なくなる中、危機感を一層強くしています。次の世代に歴史を伝えていくため、自分にできることを今後も考えていきたいです。
标题:能够面对战争的静寂之处。
这是我第一次得知建筑家亲自设计了很多公墓与慰灵碑。谷口先生的千鸟渊公墓是一处隔绝了世俗喧嚣的地方,在这里能够直接接触到阵亡者。菊竹先生的昭和馆则是一个通过普通人的生活来了解战争的地方。竟然有如此之多的珍贵资料,让我非常吃惊。如果以前接拍电视剧《黑板》时来到这里就好了。拉包尔的慰灵碑也是菊竹先生的设计,墓碑矗立在空旷的大地之上,朝着日本的方向,令人深刻地感受到阵亡者对祖国的思念。那些曾经亲身经历战争的人正在逐渐减少,更加强化了我的危机感。为了向下一代讲述历史,今后我也要认真考虑自己能做些什么。


(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマや報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広く活躍する。情報バラエティー番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS)は毎週木曜22時から放映中。DVD & Blu-ray Disc『ARASHI LIVE TOUR 2014 THE DIGITALIANも好評発売中!
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。在出演电影和电视之外,还担任新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。信息类综艺节目“樱井有吉夜会”(TBS)每周四晚22点起播出。DVD和Blu-ray的《ARASHI LIVE TOUR 2014 THE DIGITALIAN》正在出售!

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