忍者ブログ

Anaesthesia

We hid in deeper forests and fainted in the dark.

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【vol.51】艺术广场

《Casa BRUTUS》2015年10月号


櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。

大分県大分市
大分县大分市

(背景)

今回訪れた場所 アートプラザ
1966年竣工。設計:磯崎新。大分県立大分図書館として30年余り利用されたのち、大分市に無常貸与され、98年に複合施設として生まれ変わった。3階の磯崎新建築展示室では随時展示替えを行いながら模型や資料が公開されている。●大分県大分市荷揚町3ー31 ☎097・538・5000。9時~22時(展示室は~18時)。年末年始休。入館無料。
本次造访地点 艺术广场
1966年竣工。设计者:矶崎新。这座建筑在作为大分县立大分图书馆使用30余年之后,无偿出借给大分市,于1998年摇身一变,成为复合设施。位于3层的矶崎新建筑展示厅内时常轮流举办各种展览,同时还公开展示模型与资料等。●大分县大分市荷扬町3-31 ☎097-538-5000。对外开放时间:9点至22点(展示厅至18点)。年末年初休馆。免费进入。

設計した人 磯崎新
いそざきあらた 1931年大分県大分市生まれ。建築家。東京大学工学部建築学科卒業。丹下健三研究室を経て、63年磯崎新アトリエ設立。若き日の安藤忠雄や伊東豊雄、ザハ・ハディドを見いだすなど、建築界で大きな影響力を持つ。代表作に<大阪万博お祭り広場><つくばセンタービル><ロサンジェルス現代美術館>などがある。
设计者 矶崎新
1931年生于大分县大分市。建筑师。毕业于东京大学工学部建筑系。曾在丹下健三研究室效力,1963年创立矶崎新设计室。发掘了年轻时代的安藤忠雄、伊东丰雄与扎哈・哈迪德,在建筑界拥有巨大影响力。代表作有大阪世博会祭典广场、筑波中心大楼和洛杉矶当代艺术美术馆,等等。


(导语)
vol.51 モダニズム建築の再生モデルを学ぶ。
1966年竣工の<旧大分県立大分図書館>をコンバージョンし、98年より複合施設として生まれ変わった<アートプラザ>。建築はいかにして、取り壊しの危機を免れたのか?モダニズム建築再生の好例から、建築を残す意味を学びます。
第51期 学习现代主义建筑重生的典型。
艺术广场改变了1966年竣工的原大分县立大分图书馆的用途,自1998年起作为复合设施得到重新利用。建筑如何避免遭到拆除的危机呢?我们从现代主义建筑的重生范例中,学习让建筑留存的意义。

(主体)

建築の寿命はいかにして決まるのか。神社仏閣のように数百年、数千年の時を経て、今なお人々を魅了する木造建築がある一方で、戦後建てられたモダニズム建築は、耐震性や老朽化を理由に、数十年で取り壊されるケースが多々ある。そんな中、建設当時の役目を終えた建築が、見事に第二の人生を歩んでいる好例がある。建築家・磯崎新の初期代表作である<アートプラザ(旧大分県立大分図書館)>だ。丹下健三研究室から独立したばかりの新人建築家であった磯崎は、この作品で日本建築学会賞を受賞。次世代を担う若手として一躍有名になった。今回のテーマは初めての磯崎建築を体感しながら、モダニズム建築の再生モデルを学ぶこと。まずはこのアバンギャルドな建物を隅々まで見学することにした。
建筑的寿命是如何决定的呢?一方面存在着神社寺院那般历经数百乃至数千年,如今依然为人称赞的木质建筑,另一方面,战后修建的现代主义建筑因抗震性或老化等理由,仅过数十年就被拆除的案例也有许多。其中,不乏在完成修建时期的功能作用之后顺利步入第二人生的佳例。这就是艺术广场(原大分县立大分图书馆),建筑师矶崎新的早期代表作。当时刚从丹下健三研究室独立出来的新人建筑师矶崎凭借这件作品荣获日本建筑学会奖,一跃成为担负着下一代重任的年轻建筑师。此次的主题是一边亲身体验矶崎建筑,一边学习现代主义建筑的典范。首先,我们会参观学习这座前卫建筑的各个角落。

”切断”が意味するのは廃墟建築!?
“切断”意味着废弃建筑!?

「この建築は”プロセス・プランニング”という磯崎独自の発想から生まれているんです」と、何やら聞き慣れない言葉を教えてくれたのは、大分市美術館の館長、菅章さん。<アートプラザ>のメインホールが大分市美術館のサテライトスペースとして機能していることなどから、今回特別に案内していただいた。
“这座建筑来源于矶崎所谓‘制订规划过程’的独特主意。”大分市美术馆馆长菅章先生用了这样听起来不太熟悉的语言对我们说道。馆长从艺术广场正厅起到了大分市美术馆卫星空间的作用等方面讲起,这次特意为我们进行介绍。

「プロセス・プランニング……?」と首をかしげる櫻井さん。菅さんに促されて見上げた先には、ボックス状の巨大な梁が突き出している。<アートプラザ>の佇まいを印象づける、この奇妙な梁こそが磯崎の思想を表明するもの。「図書館というのは蔵書がどんどん増えて、中身が増殖していく建物。それと同じように建築だって増殖する。それを示すために、梁を”切断”することで、今後の延長を示唆しているんです」と菅さん。「……でも、実際に増築を予定していたわけではないんですよね?」と櫻井さんが尋ねると、「そのとおり。実際に想定しているのではなく、その可能性を示しているんです」と話はますます難解だ。
樱井歪着头问道:“过程规划指什么呢?”在菅馆长的催促下抬头上望,在那里,一个盒子形状的大型横梁向外探出。赋予艺术广场独特氛围的这种奇妙横梁正是表达矶崎思想的东西。菅馆长说:“所谓图书馆,就是指藏书不断丰富、内容持续增加的建筑。与此同时,建筑自身也在经历成长。因此,为了表现这一点,通过切断横梁来暗示今后产生的延伸。”樱井问道:“……不过,实际上当时应该并没有增建计划吧?”菅馆长回答:“正是如此。其实并非设想,而是展现出那种可能性。”谈话内容越来越令人费解。

しかし、櫻井さんは以前に似たような思想について学んでいるはず。磯崎と同時期に活躍した、建築家の菊竹清訓や黒川紀章らが提案したメタボリズム運動だ。「磯崎さんはメタボリズムと近い場所にいました。けれども、メタボリズムが明るい未来を夢見たのに対し、磯崎さんの思考は閉塞的。彼の原体験は14歳で見た終戦の日の青空とその下に広がる焼け跡なんです。彼の建築はそこが出発点なので、明るい未来には向かない。廃墟のイメージが常につきまとっているんです」。
但是,樱井以前应该学习过类似的思想。那就是由与矶崎活跃于同一时期的建筑师菊竹清训和黑川纪章等人倡导的新陈代谢运动。“那时矶崎距离新陈代谢派很近。尽管如此,不同于新陈代谢派所幻想的光明未来,矶崎的想法更封闭。这是由于对他而言最重要的经历是14岁时见到的终战日那天的蓝天与那片天空之下无尽的废墟痕迹。所以他的建筑以此作为出发点,不是朝向充满希望的未来。废墟的形象时常如影随形。”

菅さんは、切断された梁は流動していた物質の運動停止の状態であり、成長と滅亡を暗示するもの。つまり未来の廃墟のイメージという。「なるほど……。でも今日の天気のせいもあるからか、僕には廃墟にはなかなか見えません」と櫻井さん。「メインホールは天丼から差す光が綺麗だし、外に突き出す梁が飾りでなく構造として機能してる点も面白い」。
菅馆长说,被切断的横梁处于流动中的物质停止运动时的状态,暗示着成长与灭亡,即未来废墟的形象。“原来是这样……但也许是因为今天的天气,我从废墟之中看不出这点呢。”樱井说道。“正厅天花板照射下来的光线很漂亮,向外突出的横梁并非装饰物、而是具有实际用途的结构,这点也很有趣。”

図書館時代は大きな円形のソファがあったという吹き抜けのメインホールは、<60年代ホール>と名称が変わり、今は大分市美術館が所蔵するネオ・ダダの作品が展示されている。ネオ・ダダとは60年代に起こったアートムーブメントのひとつで、磯崎は赤瀬川原平や荒川修作らネオ・ダダの作家とも交流が深った。「図書館ができたとき、私は中学生でした」と菅さん。「一目見て、こんな建築があるのか!と心底驚きましたね。勉強をしたり、視聴覚室でレコードを聞いたり、本当によく通っていました」。
正厅据说在图书馆时代有着圆形大沙发的楼梯井,后来正厅的名称变更为“60年代大厅”,现在陈列着大分市美术馆收藏的新达达派作品。新达达派是指60年代兴起的艺术运动之一,矶崎与赤濑川原平和荒川修作等新达达派作家的交往也在加深。“图书馆建成时我是初中生。”菅馆长说道。“一看,内心惊讶道,竟然有这样的建筑啊!我有时在那里学习,有时在视听教室听录音带,真的是经常去图书馆。”

建築を残すことは、風景を残すこと。
保存建筑,就是保留风景。

市民に驚かれながらも、徐々に街の風景に溶け込んでいった<旧大分県立大分図書館>だが、90年代初めに危機が訪れる。蔵書が増え続け、ついに新しい県立図書館の建設が決まったのだ。新図書館の設計を依頼されたのは磯崎新。再び大分のために建築を手がけることになったまでは良かったが、もぬけの殼となった旧図書館は次の用途がない。女性センターにする案も出たが、いかんせん使いづらい建築だという。いよいよ取り壊し案がまとまりかけたころ、待ったをかけたのが大分出身の建築家・青木茂だった。「そこからは東大教授の鈴木博之氏が読売新聞で問題を取り上げてくださったり、県民の意見を聞く大討論会が催されたりと、議論が広がっていきました」と菅さん。その結果、建物は県から市へと無常貸与され、耐震補強などの改修工事を経て、98年に複合施設として蘇った。
然而就连让市民惊叹不已、逐渐深深融入街道景观的原大分县立大分图书馆也在90年代初期遭遇危机。这是由于随着藏书不断增加,最终决定建设新的县立图书馆。承担新图书馆设计委托的是矶崎新。再次为大分县建造建筑物这件事当然很好,但是已经变成空壳的原图书馆却丧失了接下来的用途。据说虽有将其改造为女性中心的提案,无奈这座建筑难以加以利用。就在拆除计划即将通过的时刻,提出暂停请求的是生于大分县的建筑家青木茂。菅馆长说:“从那时起,东大教授铃木博之先生为此在读卖新闻上提出问题,举行听取县民意见的大讨论会,引起了广泛议论。”结果,这座建筑由大分县无偿出借给大分市,经过强化抗震等改建工程,于1998年作为复合设施迎来重生。

「再生運動が起こったからこそ、こうして僕も訪れることができた。ありがたいです」としみじみ館内を眺める櫻井さん。磯崎は取り壊し案が出た際、大分県に一通の手紙を書いている。そこには建築の価値がこう記されていた。「若し都市の建物に文化的な価値が発生するとすれば、特定の場所に、一定の期間存在し、利用者や住民と精神的な関係を結んできた、という事実に基づく」と。
樱井深有感触地望着馆内说:“正是由于再生运动的兴起,我才能像这样参观图书馆。真是很值得感激。”在拆除计划提出的时候,矶崎给大分县写了一封信。信中对建筑的价值进行了如下记述。“假如都市建筑之中会出现文化价值,那么它的现实基础在于,建筑物在一定时期内存在于特定场所,并在精神层面上与使用者和当地居民相互连接。”

固有の風景を生むことは建築の重要な役目である。大分城址公園の隣に、印象的な梁を持つコンクリートの建物があること。この風景こそ、今となっては大分らしさであり、年月が育んだ財産なのだ。
建筑的重要作用是产生该地独有的景观。在大分城址公园旁有一座混凝土建筑物的横梁令人印象如此深刻。正是这样的风景,如今代表着大分,它是岁月孕育而出的一份财产。


(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『建物が残った 近代建築の保存と転生』
<旧大分県立大分図書館>が<アートプラザ>に転生するまでを追ったドキュメント。磯崎本人によるテキストや、改修前後の写真や図面など、詳細に記録されている(2,800円/岩波書店)。
樱井本月的课题图书 《留存下来的建筑物:近代建筑的保护与重生》
本书跟踪了原大分县立大分图书馆转变成为艺术广场的过程。内容详细记录了矶崎本人提供的文本以及改建前后的照片与设计图纸等(2,800日元/岩波书店)。

(参观感想)
title:大分の日の下で磯崎建築を見るということ。
磯崎さんの建築はこれが初めて。展示室では歴代のプロジェクトを拝見したのですが、”こういう建築家”とカテゴライズできるような方では全くありませんでした。菅さんも”磯崎さんは難解”とおっしゃっていましたが、多面性があって面白かったです。模型を見た中では、群馬県立近代美術館と水戸芸術館に行きたくなりました。印象に残ったのは展示パネルにあった磯崎さんの言葉で自分の建築には”大分の日の光を浴びて育ったのが関係しているだろう”というもの。大分の日の光の下で磯崎建築を見るということは、他の土地の磯崎建築を訪ねるのとは意味合いが違うのだろうなと。改めて、ここに来られてよかったと思いました。
标题:在大分的太阳之下参观矶崎的建筑。
这是第一次造访矶崎先生的建筑。虽说在展览厅看到了历代的项目,但矶崎先生完全不是那种能够被简单划分到某类建筑师的类型。菅馆长也说“矶崎先生令人难以理解”,他具有多面性,很有意思。我在参观模型的过程中,产生了想去看看群马县立近代美术馆和水户艺术馆的想法。印象深刻的是展示板上矶崎先生的话,“也许是与沐浴着大分的阳光成长起来有关吧”。我想,参观大分阳光下矶崎先生的建筑,与造访矶崎先生在其他土地上的建筑,含义应该不同吧。再次感到能来到这里真是太好了。

(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマや報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど、幅広く活躍する。情報バラエティー番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS)は毎週木曜22時から放映中。9月2日にリリースされた最新シングル「愛を叫べ」が好評発売中!
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。在出演电影和电视之外,还担任新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。信息类综艺节目“樱井有吉夜会”(TBS)每周四晚22点起播出。9月2日发行的最新单曲《愛を叫べ》正在出售!

拍手[0回]

PR