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Anaesthesia

We hid in deeper forests and fainted in the dark.

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【vol.38】朝仓雕塑馆

《Casa BRUTUS》 2014 年 08 月号


櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



東京都台東区
东京都台东区


(背景)

今回訪れた場所 朝倉彫塑館
1967年開館。35年に自邸兼アトリエとして竣工。以来、亡くなるまでの約30年間を過ごした。●東京都台東区谷中7-18-10 ☎03・3821・4549。9時30分~16時30分(16時最終入館)。月曜・金曜休(祝日の場合翌日休)。入館料500円。裸足やスリッパで鑑賞は不可、靴下を着用のこと。7月末まで(予定)は補修工事のため見学を一部制限。
本次造访地点  朝仓雕塑馆
1967 年开馆。1935 年竣工,作为建筑师自己的住宅兼工作室。从那以后,朝仓文夫在此度过了 约 30 年时间,直至离世。●东京都台东区谷中 7-18-10 ☎03-3821-4549。对外开放时间:9 点 30 分至 16 点 30 分(最后入馆时间是 16 点)。周一与周五休馆(逢公众假日则在次日休馆)。门票 500 日元。不允许赤脚或穿拖鞋参观,应穿好袜子。截至 7 月月底(预计时间),由于进行修复工程,部分区域的参观受限。


設計した人 朝倉文夫
あさくらふみお 1883年大分県生まれ。彫塑家であった実兄・渡辺長男の影響で、1903年東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻撰科に入学。在学中1,200点もの作品を制作し、首席で卒業。以降、日本の彫刻界の牽引役として活躍する。48年彫刻家として初めて文化勲章を受章。64年、81歳で他界。代表作に《墓守》《時の流れ》《三相》など。
设计者 朝仓文夫
1883 年生于大分县。由于受到身为雕塑家的亲生哥哥影响,而于 1903 年在东京美术学校(现 东京艺术大学)雕刻专业入读。在校期间制作了多达 1200 件作品,以第一名的成绩毕业。自此以后,作为引领日本雕刻界的人物,活跃于业界。1948 年,作为雕刻家首次获得日本文化勋章。1964 年,在 81 岁高龄时辞世。代表作有“墓守”、“时代潮流”和“三相”等。



(导语)
vol.38 芸術家の美意識に彩られた<朝倉彫塑館>を初探訪!
日本近代彫刻の礎を築いた、不世出の彫刻家・朝倉文夫。彼が自ら設計し、長い歳月をかけて完成させた空間が約4年半の改修工事を終えて昨秋リニューアルオープン。建築家以外が設計した作品探訪に櫻井さんも興味津々です。
第 38 期 首次探访由艺术家关于美的意识而点缀着的朝仓雕塑馆!
朝仓文夫是构建起日本近代雕刻基础、首屈一指的雕刻家。由其亲自设计、历经漫长岁月终于完成的建筑作品,在结束约 4 年半的修复工程之后,于去年秋季重新对外开放。对于探访建筑师以外的人设计的作品,樱井也非常感兴趣。



(主体)

JR日暮里駅から谷中銀座へと続くなだらかなご殿坂。70以上の寺社が点在する寺の町と、下町ならではの賑わいを見せる商店街をつなぐように、昔ながらの街並みが広がる。今回、櫻井さんが訪ねるのはそんな一角に建つ<朝倉彫塑館>。卓越した描写力で自然主義的写実主義と言われる作風を確立させ、日本の彫刻界を牽引した彫刻家・朝倉文夫の自邸とアトリエを一般公開した個人美術館である。
平缓的殿坂自 JR 日暮里站向谷中银座方向延伸。街道仿佛连接着有着 70 多间寺院神社的区域与商业街上那种仅存于下町的喧嚣热闹,一如既往地向远处伸展。这次,樱井造访的是建于此处一角的朝仓雕塑馆。这里是朝仓文夫的住宅与工作室,现在作为美术馆向公众开放。这位雕刻家凭借出色的描写能力,确立了自然主义的现实主义风格,曾引领日本雕刻界。

約400坪の敷地に建つのは、3層コンクリート造りのアトリエ棟と、それに寄り添うように佇むコの字形の日本家屋。5つの巨石が配された中庭が、それらの中央につくられている。2001年には建築が登録有形文化財に、08年には敷地全体が名勝に指定。驚くのは、この空間が朝倉自身によって設計・管理され、7年という歳月をかけて完成した作品だということ。09年から4年半続いた保存修復工事では、朝倉が晩年過ごした昭和30年代の姿に近づけるよう工夫された。これには「建築家以外が設計した建築を訪れるのは初めてなので、楽しみです!」と、櫻井さんも期待も高まる。
在大约 400 坪(1322㎡)的地基上建造了 3 层混凝土工作室与紧邻一旁的“コ”字形日式房屋。有着 5 块巨石的中庭,位于这些建筑物的中央。建筑于 2001 年成为登记在册的有形文化财产,整片土地于2008 年被指定为风景名胜。令人惊讶的是,这片空间由朝仓自己设计并管理、历时 7 年才完成的一件作品。修复工程始于 2009 年,持续 4 年半时间,颇费心思,意在尽量恢复成接近朝仓度过晚年的昭和 30 年代风格。对此,樱井也寄予了很高的期待:“由于这是我第一次 参观建筑师之外的人所设计的建筑,因此非常期待!”

和と洋、2つの空間で構成。
由日式与西式两种空间构成。

朝倉彫塑館ツアーの始まりは、アトリエ棟からスタート。黒い塗装の外壁に、磨いた玉石を敷き込む洗い出し仕上げの玄関床など、序盤から芸術家のこだわりに満ちている。その先に広がるのは、天井高8.5m、3層吹き抜けのアトリエ。《墓守》《三相》など約20点の彫刻作品が展示されている。
朝仓雕塑馆的旅程从工作室建筑开始。在涂成黑色的外墙上铺满了经过打磨的卵石,精加工润饰的人造石玄关地板,等等,布局之中满是艺术家的讲究。向前延伸的,是有着高 8.5 米的天花板和3 层楼梯井的工作室。“墓守”与“三相”等约 20 件雕刻作品在此展出。

「数寄屋造りを好んだ朝倉が、アトリエをコンクリート造りにしたのは、この昇降台を設置するためだったと言われています。大型作品を制作する際は、足場を組むのが一般的ですが、彼は彫刻を上下させるという逆転の発想を思いついたんです」と話すのは、学芸員の戸張泰子さん。その指さす方向、大隈重信像の足下を見て櫻井さんも「うわぁ、舞台装置の奈落みたいですね」とうれしそうだ。
美术馆研究员户张泰子说道:“据说,喜欢茶室式的雅致建筑的朝仓,使用混凝土建造工作室,就是为了设置了这个升降台。在制作大型作品时,常规作法是搭脚手架,但是朝仓却采用了逆向思维,让雕刻上下移动。”樱井顺着户张女士手指的方向望向大隈重信雕像的脚下,高兴地 说道:“哇, 看起来就像舞台的地下室装置”。

期せずして(!?)、コンクリート造りを選択することになった朝倉は、このアトリエ棟を後進育成の場や来客をもてなす公の場として位置づけたのだろう。3階部分には、国内外の要人が訪れたという格式高い客間、朝陽の間も設けている。和と洋、公と私……数寄屋造りの自邸との対比は明快だ。しかし、意外にも内装には共通する部分が多い。第一は、丸太と竹の意匠。磨き丸太を手すりや柱に用い、竹を腰壁や格子に取り入れている。第二は曲線の多用。創作活動の妨げになる陰影が出ないよう壁面や仕切りの角にアールを用いたアトリエから、和室の床の間まで曲線が随所に採用されている。「確かに書斎の本棚も、応接室の弧状の出窓とソファも美しい曲線でしたね。」
朝仓对这里未抱太多期望、选择混凝土构造的原因,也许是将这件工作室定位为培养后辈、招待来客的公共场所。在第 3 层的部分,设置了国内外要人来访的高规格客厅,还有朝阳之屋。日式与西式,公共与私人…… 这里较茶室风格的自宅更为明快。但同时令人意外的是,在内部装修方面有许多共通之处。第一,圆木和竹子设计独到。扶手与柱子等采用经过打磨的圆木,而墙的中部和格子则用竹子。第二,多采用曲线。为避免出现妨碍创作活动的阴影,工作室的墙面与间隔转角采用直角,而在这里,就连日式房间的地板之间都采用了随处可见的曲线。“的确,书房的书架、接待室的弧形飘窗与沙发都具有美丽的曲线呢。”

歩を進めるごと、朝倉建築の見立てに慣れてきた様子の櫻井さん。「すごいのはこれだけ多くの部屋があっても、どれ一つ同じじゃないところ」と感心もしきり。「そうなんです。壁材や天井の張り方、障子の賛に至るまで、すべて異なるものを使っているんです」と戸張さんの説明にも熱が入る。
随着不断参观,樱井似乎逐渐适应了朝仓建筑的想法。他佩服地说:“厉害之处在于,尽管有如此之多的房间,却没有两间是相同的。”户张女士也补充说明道:“的确如此。墙壁建材,天花板的 铺设方法,乃至纸拉门画作上的诗文,全部都使用了不同的素材。”

朝倉は芸術家らしく色にづいてもだわりが強かったようで、黒と白、黒と赤といった色の対比も建築の至る所で表現。瑪瑙を砂粒大まで砕いて塗り上げた朝陽の間の瑪瑙壁の赤に対して、中庭に面した壁は螺鈿細工に使う青貝などを用いた貝壁で白とするなど、特有の審美眼とこだわりをもった表現方法を見せている。
因为朝仓,所以黑白与黑红的颜色对比在建筑中随处可见。朝阳之屋的玛瑙墙壁是将玛瑙粉碎成砂粒大小并涂抹在上面,形成红色,与之相对,正对中庭的墙壁上是用于螺钿手工艺品的史式背尖贝等铺就的贝壳墙壁,呈现白色。诸如此类,让我们见识了独特的审美眼光与颇为讲究的表现方式。

建築の中心に位置する庭園。
设置于建筑中心的庭园。

「<朝倉彫塑館>は庭と建築、そして彫刻が融合した一つの作品です」。
“朝仓雕塑馆是将庭院、建筑以及雕刻融为一体的作品。”

戸張さんの言葉に促されるように、中庭を望む茶室へと足を踏み入れる櫻井さん。巨大な石と樹木、水で構成される小さいながらも濃密な緑の空間に「石の存在感が半端なく大きい……」とつぶやく。「同じ敷地にありながら、まったく別のものとして存在している和と洋の建築をこの庭が結んでいるんですね」とも。
樱井仿佛受到户张女士发言的鼓舞,踏入能望见中庭的茶室。巨石、树木与水构成了虽小却绿意盈盈的空间,樱井不禁喃喃自语:“石头的存在感真强,好大啊……”樱井又说道:“在同一片土地上,日式与西式建筑如同两件全然不同的事物一般共存,由这座庭院连接呢。”

「朝倉はとても遊び心のある人だったようで、同じものの中で一つだけを“外す”という表現をこの庭でしています。巨石の一つだけを丸い石にしたり、白い花をつける樹木の中に1本だけ赤い花のサルスベリの木を混ぜたり。雨樋に銅制の蝶が取り付けられているのも、なぜかここだけなんです」と戸張さん。驚くたび、巨匠のしたり顔が目に浮かぶようだ。
户张女士说:“朝仓似乎是一位非常具有玩心的人,他在这座庭院中采用了同一件事物中仅有一处‘例外’的表现手法。例如,在巨石中仅放置一块圆形石头,开着白色花朵的树木之中仅混入一棵生长着红色紫薇花的树木。雨檐上安装着銅制蝴蝶,不知为何只安置在这里。”每当感到惊讶时,眼前仿佛都会浮现大师得意的面容。

さて、いよいよツアーも大詰め。締めくくりに、アトリエ棟の屋上庭園へと向かう。ル・コルビュジエが「近代建築の5つの原則」で屋上庭園を提唱したのと、ほぼ同時期に設計されたという庭園は、日本における屋上緑化の先駆け。園芸を芸術家に欠かせない素養の一つと考えていた朝倉は、ここに菜園をつくり、彫塑塾の塾生にも実習させていたという。
那么,我们将踏上旅程的结尾。最后,我们走向工作室建筑的屋顶庭园。勒・柯布西耶通过“ 现代建筑五原则”倡导屋顶庭园,几乎是在同一时期,据说朝仓设计了这座庭园,这里是日本屋顶绿化的先驱。据说,朝仓认为园艺是艺术家不可或缺的素养之一,他在这里耕种了一片菜园,让雕塑教室的学生也参与园艺实践。

多くの塾生で賑わった当時からは、望む景色は大きく変わり、館の主も不在となったが、ここが朝倉最大の作品であり続けることに変わりはない。大芸術家の優れた感性と飽くなき創造力。それらがいかんなく発揮された建築は、下町の住宅街に今もひっそり佇んでいる。
从学生众多、热闹非常的当时算起,如今看到的景色已是大不相同,雕塑馆的主人也早已不在。尽管如此,此处作为朝仓最大的作品将继续流传的这个事实却没有改变。优秀艺术家身上重要的感性与无限的创造力。让这两点得以充分发挥的建筑,如今依旧毫不显眼地矗立在下町的住宅街道上。


(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『個人美術館の愉しみ』
東海道新幹線のグリーン車に備え付けられた冊子で4年近く続いた連載をまとめた1冊。<朝倉彫塑館>を含む46の個人美術館にまつわる物語を赤瀬川原平が紹介する(光文社新書/1,404円)。
樱井本月的课题图书 《个人美术馆的愉悦》
本书是将东海道新干线绿色火车中配备的、连载近 4 年的小册子汇总成 1 册而来。赤濑川原平介绍了包括朝仓雕塑馆在内的关于 46 座私人美术馆的故事(光文社新书/1,404日元)。



(参观感想)
title:新鮮な驚きに満ちた唯一無二の建築でした。
<朝倉彫塑館>は、これまで訪れたどの建築とも違う独特の空気感が印象的でした。美術館でも個人住宅でもない異空間というイメージ。これだけの数の彫刻作品を一度に見たのも初めてでした。建築家以外が設計した空間ということで、最初は少しとまどいましたが、新鮮な発見が多かったのも事実。洋館と日本家屋の境に、それぞれ鉄製と木製の扉がついていたのには驚きました。オンとオフを区切る結界見たいですよね。今でこそ一般的な屋上緑化を当時始めたというのも革新的だし。すべての部屋の内装を変えたというこだわりもすごい。でも、一番気持ちよかったのはやっぱり中庭。茶室から庭を見ていると、時間が過ぎるのを忘れますね。
标题:这是一座充满新鲜感与惊奇、独一无二的建筑。
朝仓雕塑馆,有别于迄今为止参观过的任何一座建筑,具有一种独特的氛围,这点令我印象深刻。既不是美术馆,也不是私人住宅,而是有一种奇特空间的印象。这也是我第一次能够一次性见到这么多的雕刻作品。建筑师以外的人所设计的空间,最初虽然让我有点迷茫,但是有很多新鲜发现,这一点也是事实。西式建筑与日式房屋的分界上,各自安装着铁制大门与木制大门,让我感到很惊讶。很想看看分隔着工作与闲暇的结界呢。如今常见的屋顶绿化,当时开始时却是一种革新。所有房间的内部装修都各不相同,这种讲究也很厉害。不过,最让我感到舒服的地方果然还是中庭。从茶室望向庭院,让我忘却了时间的流逝。



(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマへの出演や、報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。情報バラエティー番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS)は毎週木曜22時から放送。嵐の最新シングル『誰も知らない』、『アラフェス'13 NATIONAL STADIUM 2013』が発売中。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。出演电影与电视剧,并担任新闻节目“ NEWS ZERO ”的主播,广泛活跃于多种场合。信息类综艺节目“樱井有吉危险夜会”(TBS)每周四晚22点播出。岚的最新单曲“誰も知らない”和“アラフェス'13 NATIONAL STADIUM 2013”正在销售。

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【vol.37】根津美术馆

《Casa BRUTUS》 2014 年 07 月号



櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



東京都港区
东京都港区


(背景)

今回訪れた場所 根津美術館
1941年開館。2009年、建築家・隈研吾の設計により改築。日本と東アジアの古美術コレクション約7,400点を擁する。現在、『カラフル 中国・明清工芸の精華』展を開催中。~7月13日。●東京都港区南青山6-5-1 ☎03・3400・2536。10時~17時(16時最終入館)。月曜(祝日の場合翌日)、展示替え期間休館。入館料1,000円。
本次造访地点  根津美术馆
1941 年开馆。2009 年进行的改建由建筑师隈研吾设计。馆内有大约 7400 件日本与东亚古代美术收藏品。现在正在举办“彩色的中国明清工艺精华”展览,截至 7 月 13 日。●东京都港区南青山 6-5-1 ☎03-3400-2536。对外开放时间:10 点至 17 点(最后入馆时间是 16 点)。每周一(逢公众假日改为次日)与布置展览期间休馆。门票 1,000 日元。


設計した人 隈研吾
くまけんご 1954年生まれ。東京大学建築学科大学院修了。大手建築設計事務所やゼネコンをを経て、コロンビア大学客員研究員として留学。86年独立。東京大学教授。<根津美術館>で毎日芸術賞受賞。代表作に<森舞台/登米町伝統芸能伝承館><竹の家><サントリー美術館><歌舞伎座>などがある。最新刊は『僕の場所』(大和書房)。
设计者 隈研吾
1954 年出生。完成了东京大学建筑学研究生院课程。先后在建筑设计事务所与大型综合建筑公司任职,随后作为哥伦比亚大学访问学者留学美国。1986 年独立。任东京大学教授。凭借根津美术馆获得每日艺术奖。代表作有森舞台/登米町传统表演艺术传承馆、竹之家、三得利美术馆与歌舞伎座等。最新出版物是《我所在的地方》(大和书房)。



(导语)
vol.37 国宝《燕子花図屏風》を見に初夏の根津美術館へ。
実業家で茶人でもあった収集家・初代根津嘉一郎のコレクションを軸に、1941年開館、2009年に隈研吾が改装を手がけた<根津美術館>。特別公開された《燕子花図屏風》と、庭に咲く本物のカキツバタ、そして現代建築を愛でに、新緑に包まれた美術館を訪れました。
第 37 期 为参观国宝《燕子花图》屏风,在初夏时节前往根津美术馆。
根津嘉一郎是收藏家,同时也是精通茶道的实业家,以其收藏为中心的根津美术馆于 1941 年开馆,隈研吾在 2009 年负责改建。出于对特别展出的《燕子花图》屏风、庭院内绽放的真实燕子花以及现代建筑的热爱,我们造访了这座新绿环绕的美术馆。



(主体)

建築家・隈研吾さんから直々に現代建築を見方、楽しみ方を学んだ前回。その理解を深めるため、今回は都内にあるもう一つの代表作<根津美術館>を訪れることにした櫻井さん。「目の前は何度も通っていて、いつかあの中へ入ってみたいなぁと思っていたんです」。ファンションビルが並ぶ賑やかな表参道の風景に、静かに、堂々と佇む美術館。涼しげな竹の生け垣のアプローチの奥がどうなっているのかは、外からうかがい知れない。
上一期中,我们直接从建筑师隈研吾先生那里学习了观察与欣赏现代建筑的方法。为了加深理解,樱井将在本期参观隈研吾先生位于东京都内的另一件代表作,根津美术馆。“曾经多次路过这里,我一直想着什么时候要进去看看。”美术馆安静而庄严地伫立在时尚大楼林立、熙熙攘攘的表参道风景之中。竹子篱笆的门前通道透着清凉感,小道向内延伸会是什么样子,这一点通过在外窥视无从得知。

<根津美術館>がこの場所に開館したのは1941年のこと。初代根津嘉一郎は東武鉄道を再建した実業家であり、政治家。そして、青山と名乗る茶人でもあった。日本や東アジアの古美術収集家としても知られたが、それは単なる趣味ではなく、日本文化の海外流出を防ぐため。この地に居を構えていた嘉一郎は、たびたび盛大な園遊会を開き、自身のコレクションを国内外の来賓客に見せ、日本の文化に触れてもらう機会を作ったという。
根津美术馆在此处开始对外开放是在 1941 年。首任根津嘉一郎是重建东武铁道株式会社的实业家兼政治家。此外,他也是精通茶道之人,自称青山。虽然他作为日本与东亚古代美术品收藏家而为人所知,但是这并非只是兴趣,还是为了防止日本文化流失海外。据说,在此处修建居所的嘉一郎,常常召开盛大的园游会,向来到此处的海内外宾客展示自己的藏品,创造机会让大家可以接触到日本文化。

そんな初代の遺言に従い、二代目が敷地内でスタートさせた同館。戦火で建物や庭園は焼失したが、美術品は疎開させ守り切った。終戦翌年には美術館を再開し、初代が愛情を注いだ日本庭園と茶室も徐々に再建。アートと自然がひとつになった豊かな空間が完成した。
第二任馆长遵循首任遗言,在这片土地上建起同样的建筑。建筑与庭园虽因战火而烧毁,但是美术品却疏散到其他地方,得以完整保存。战争结束的次年,美术馆再次对外开放,首任倾注了喜爱之情的日本庭园与茶室也慢慢重建起来。最终形成了艺术与自然合而为一、内涵丰富的空间。

「現館長が隈研吾さんに改築をお願いしたのは2005年のこと。それからおよそ3年かけて、今の新館が生まれました」と副館長の西田宏子さん。隈さんと一緒に、世界中の美術館を見て回り、その中でお互いのビジョンを膨らませたという。「アプローチの両脇は竹なんですね。先日の<竹の家>の話を思い出します」と櫻井さん。サラサラと竹が揺れる音に耳を傾けながら進み、終点で大きく90度に曲がると、エントランスの奥に、美しい日本庭園が飛び込んできた。
副馆长西田宏子女士说:“现任馆长拜托隈研吾先生进行改建是在 2005 年的时候。从那时起经过大约 3 年时间,诞生了现在的新馆。”据说,在与隈先生一同周游世界参观各国美术馆的过程中,彼此对未来的愿景也变得更大。樱井说:“门前通道的两侧是竹子呢。让我想起上次说到的竹之家。”一边侧耳倾听竹子晃动时沙沙作响的声音一边前行,绕过终点处 90 度的大幅度拐角,在入口深处,美丽的日本庭园跃入眼帘。

尾形光琳の燕子花に対面!
参观尾形光琳的燕子花!

新緑が眩しい5月。この時期の根津美術館は、一年で一番の賑いを見せる。尾形光琳の国宝《燕子花図屏風》が公開されるのだ。そして、日本庭園には本物のカキツバタが咲き乱れる。ふたつの「美」を眺めに、外国人も数多く訪れるという。
新绿绽放的 5 月。这一时期的根津美术馆,呈现出一年中最热闹的景象。原来是尾形光琳的国宝级作品《燕子花图》屏风正在展出。此外,日本庭园中真正的燕子花也盛开了。据说为了远远地望见这两种美,就连外国人都大量到访。

開館前の展示室で《燕子花図屏風》を拝見させてもらった。「贅沢ですね」とゆっくり絵に歩み寄せる櫻井さん。金箔地に、群青と緑青のみで大胆に描かれた燕子花。尾形光琳は京都の高級吴服商の次男。染色の「型紙」を幼いとこから知っていた彼は、屏風にその技術を生かしたのだろうか。構図の大胆さが際立つ。「燕子花の輪郭を見てください。顏料が薄くなったところは金箔が透けて見えますよね。なので、この作品はつい最近まで、金箔を貼った上から描かれたと思われていたんです。光琳は、さぞかし筆を走られにくかっただろう、と。それが、9年前の修復でその説が覆りました」と西田副館長。燕子花を描くスペースのみ金箔がきれいに型抜かれていたのだ。「修復からわかった新しい発見です」。そして櫻井さんに、左右からも作品を眺めてくださいと促す。「当館のこだわりは、屏風画を屏風として、折り曲げて展示している点。立体にすると、眺める位置によって、絵の重なりが変わりますよね。図版ではなく、美術館に足を運ぶ醍醐味です」。
我们得以在开馆前的展览厅内参观《燕子花图》屏风。樱井慢慢走近画作,感慨着:“真是奢侈呀。”铺满金箔的地面上,仅采用群青与铜绿,大胆地描绘出燕子花。尾形光琳是京都高级绸缎商人家族的次子。从小便熟知染色纸型的他,也许将这门技术灵活运用到了屏风上。大胆的构图非常引人注意。西田副馆长说:“请看燕子花的轮廓。颜料较淡的地方,可以隐约看见透过来的金箔吧。因此,常有人认为这件作品是最近贴上金箔并在其上作画的。他们想必觉得,光琳是难以灵活自如地运用毛笔。这种观点,在 9 年前画作修复时被否定了。”这是由于仅在描绘燕子花的区域里,能够完好地取出金箔。“这是通过修复得到的新发现。”于是,西田副馆长催促樱井也从左右观察这件作品。“本馆讲究的是,屏风画作为屏风以折叠形式展现这一点。如果以立体方式摆放,那么随着观察的位置不同,绘画的重叠也会变化吧。这并非印在书中的插图,而是亲自来到美术馆才能体会到的妙趣。”

今年の企画展では、《燕子花図屏風》の隣に円山応挙の《藤花図屏風》が並べられた。さらに江戸琳派の鈴木其一が描いた《夏秋渓流図屏風》も。ビビッドな色と抽象化された形に、「これ、好きです。現代アートにも見える」と櫻井さん。日本画の幅広さに触れる時間となった。
今年的规划展览上,《燕子花图》屏风旁并列着圆山应举的《藤花图》屏风。此外还有江户琳派的铃木其一所描绘的《夏秋溪流图》屏风。面对鲜艳的色彩与抽象的形态,樱井说道:“我喜欢这个。从中能看出现代艺术。”这段时间成为了接触日本画作的广阔的机会。

素材がつくり出す空間の違い。
素材创造出的空间差异。

前回、隈さんから“空間の質”というキーワードをもらった櫻井さん。「前回も天井が印象的でした。エントランスホールは見上げると大胆な斜行。展示室はゆるやかなカーブ。空間に入ったときの感覚が違う」。また西田副館長は床材にもこだわりがあると言う。「展示室は床の感触が柔らかくないですか?コルクボードを使っているんです。ホールの砂岩から歩いて入ると、自然と足跡が消え、展示空間に入ったことがわかります」。
上一期中,樱井从隈先生那里学到了关键词“空间的质”。“上一期中对天花板也印象深刻。在入口大厅仰望,会看到设计大胆的斜行。展览厅内是缓和的曲线。与刚进入时的感觉不同。”西田副馆长又说道,在室内地面材料上也有讲究。“展览厅地板的触感是不是很柔软呢?这是由于使用了软木板。从大厅的砂岩步入室内,足迹自然而然消失,由此能够清楚地知道进入了展览空间。”

再びホールへ出ると、庭の緑が一層輝いて見える。西田副館長の案内で、庭園の奥にある池へと向かった。約7000坪の日本庭園に寄り添うようにあるのがこの美術館の特徴。改装にあたり隈さんは「主役は庭」と考え、建物のバランスを熟考した。「改築をする際、私たちが最初に揚げたのが日本らしい空間をつくることなんです」と西田副館長。瓦を葺いた大屋根、軒下から入る柔らかな反射光、アプローチの竹。美術館を通して日本文化に触れてもらう。これは最初が東洋古美術を収集した思いにも通じている。
再次前往大厅时,眼见庭院的绿意更盛。通过西田副馆长的导览,前往位于庭园深处的池塘。临近面积约 7000 坪的日本庭园,是这座美术馆的特征。在改建时,隈先生认为“主角是庭院”,并仔细考虑建筑物的平衡。西田副馆长说:“改建之际,我们最初想构建一个日本风格的建筑。”铺设瓦片的大屋顶,从屋檐下招进来柔和的反射光线,门前通道的竹子。通过美术馆接触日本文化。这与收集东亚地区古代美术作品的最初想法也是一致的。

池に到着すると、一面にカキツバタが咲き乱れていた。代々庭園を預かる庭師が、丹精込めて育てたもの。「国宝の燕子花と庭園のカキツバタを一緒に愛でるなんて、粋!」と目を細める櫻井さん。華麗な競演がこの次、楽しめるのは来年4月。巡る季節を待ち遠しく思う気持ちに、また日本らしさを感じた気がした。
来到池塘,一面是盛开的燕子花。这是世代照看庭园的园艺师,倾注心血培育出来的。樱井笑眯眯地看着燕子花,说道:“能够同时欣赏作为国宝的燕子花与庭园内的燕子花,真是精粹!”下一次能欣赏到这样华丽场景的时机,将是明年 4 月。在盼望着四季更替的心情之中,感觉再次明白了日本的风格。


(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『根津美術館案内』
美術館の成り立ちやコンセプト、所蔵品についてまとめた鑑賞ガイド。日本庭園に点在する4つの茶室や根津美術館八景と呼ばれる見どころも紹介。庭園散策のお供にも(根津美術館/300円)。
樱井本月的课题图书 《根津美术馆导览》
本书是关于美术馆成立的经过、概念以及收藏品的总体鉴赏指南。此外还介绍了分布在日本庭园中的 4 处茶室与有着根津美术馆八景之称的看点。也可作为陪伴你漫步庭园的书籍(根津美术馆/ 300 日元)。



(参观感想)
title:“隈さんらしさ”を自分なりに感じ取れました。
初めて訪れた<根津美術館>。門の奥にこんなに広々とした敷地が広がっているとは思いもしませんでした。このタイミングで訪れることができてよかったのは、前回、隈さんにお会いしたからこその気づきがたくさんあったから。展示室に入って、ん?今までいた空間と違うな、と上を見上げると天井のつくりが変わっていたり、足元に目をやると床の素材が変化していたり。“空間の質”ってこういうことなんだ、と。自分なりに隈さんらしさを見つけられました。そして、やはり国宝《燕子花図屏風》。描かれた燕子花を見た後に、庭に本物のカキツバタを愛でるなんて、粋ですよね。真心を込めて育てられたカキツバタの美しさは格別でした。
标题:从自己的角度感受“隈先生的风格”。
这是我第一次来到根津美术馆。我从未想过大门深处会延伸出如此宽敞的土地。感到能在此时参观这里真好,这种想法是通过上一期中与隈先生相遇才充分意识到的。进入展厅,嗯?想着与迄今为止的空间都不同啊。抬头望向上方,发现天花板的构造变了;看向脚边,发现地板的素材变了。心想原来“空间的质”是这样一回事啊。从自己的角度发现了隈先生的风格。此外,果然不得不提《燕子花图》屏风。在见到描绘的燕子花之后,在庭院中欣赏真正的燕子花,这真是太棒了呢。精心养育的燕子花的美丽,与众不同。



(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマへの出演や、報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。情報バラエティー番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS)は毎週木曜22時から放送。嵐の最新シングル『誰も知らない』、『アラフェス'13 NATIONAL STADIUM 2013』も発売中。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。出演电影与电视剧,并担任新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。信息类综艺节目“樱井有吉危险夜会”(TBS)每周四晚22点播出。岚的最新单曲“誰も知らない”和“アラフェス'13 NATIONAL STADIUM 2013”正在销售。

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【vol.36】三得利美术馆与微热山丘

《Casa BRUTUS》 2014 年 06 月号


櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



東京都港区
东京都港区


(背景)

今回訪れた場所 サントリー美術館
2007年赤坂見附から移転開館。隈研吾設計。~5月11日は『のぞいてびっくり江戸絵画』展、6月11日~7月21日は『徒然草一美術で楽しむ古典文学』を開催。●東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3F ☎03・3479・8600。10時~18時(金・土~20時)。火曜休。入館料1,300円。
本次造访地点  三得利美术馆
2007 年从赤坂见附转至现地并开馆。由隈研吾设计。“令人啧啧称奇的江户绘画”展览截至 5 月 11 日,6 月 11 日至 7 月 21 日举办“通过徒然草与美术鉴赏古典文学”。●东京都港区赤坂9-7-4 东京中城 画廊 3F ☎03-3479-8600。对外开放时间:10 点至 18 点(周五与周六延长至 20 点)。每周二休馆。门票:1,300 日元。


今回訪れた場所 サニーヒルズ
2013年12月開店。隈研吾設計。南青山の住宅地にオープンした、台湾発のパイナップルケーキ専門店。2階・3階は内装の異なる試食スペースになっている。青山エリアの建築散歩に加えたい新名所。●東京都港区青山3-10-20 ☎03・3408・7778。11時~19時。無休。
本次造访地点  微热山丘
2013 年 12 月开业。由隈研吾设计。这是一家来自台湾的凤梨酥专卖店,在南青山住宅区开业。2 层与 3 层是试吃区,分别有着不同的内部装修。让人想将其列入青山区域建筑漫步的新景点中。 ●东京都港区青山3-10-20 ☎03-3408-7778。营业时间:11 点至 19 点。无休。


設計した人 隈研吾
くまけんご 1954年生まれ。東京大学建築学科大学院修了。大手建築設計事務所やゼネコンをを経て、コロンビア大学客員研究員として留学。86年独立。東京大学教授。代表作に<森舞台/登米町伝統芸能伝承館><竹の家><根津美術館><歌舞伎座>。『10宅論』『負ける建築』など著書多数。
设计者  隈研吾
1954 年出生。完成了东京大学建筑学研究生院课程。先后在建筑设计事务所与大型综合建筑公司任职,随后作为哥伦比亚大学访问学者留学美国。1986 年独立。任东京大学教授。代表作有森舞台/登米町传统表演艺术传承馆、竹之家、根津美术馆与歌舞伎座。著作颇丰,例如《10 宅论》和《负建筑》。



(导语)
vol.36 建築家・隈研吾さんに教わる、現代建築の楽しみ方。
立て直しを終えた<歌舞伎座>をはじめ、世界各地でその土地のランドマークとなる建築を数多く手がける、建築家の隈研吾さん。そんな隈さんに、現代建築の楽しみ方について教わる特別講義!キーワードは自分の体をもって感じる“空間の質”でした。
第 36 期 向建筑师隈研吾先生学习鉴赏现代建筑的方法。
以翻修完毕的歌舞伎座为例,建筑师隈研吾先生在世界各地有众多成为当地地标的建筑作品。本期的特别篇将向隈先生请教鉴赏现代建筑的方法!关键词是自身体会到的“空间的质”。



(主体)

前回までの連載で、歴史ある名建築を続けて訪ねてきた櫻井さん。今を生きる建築家の作品にも、もっと触れたい!という思いから、今回は建築家・隈研吾さんに、都内の2つの代表作を案内していただいた。
截至上一期的连载中,樱井连续探访了拥有悠久历史的著名建筑。由于想要了解生活在当今社会的建筑师的作品,本期邀请了建筑师隈研吾先生为我们介绍其在东京都内的两件代表作。

設計した建築家本人から見どころを教えてもらう、またとないチャンス。「現代建築の楽しみ方を教えてください!」とリクエストすると、「体で空間の質を感じること」と返答が。その意味を知るべく、六本木にある<サントリー美術館>と、オープンしたばかりのパイナップルケーキ専門店<サニーヒルズ>を訪れた。
能够请到设计建筑的建筑师本人为我们讲解看点,是绝无仅有的机会。当提出“请告诉我们欣赏现代建筑的方法”的请求时,得到的回答是“亲身体会空间的质。”为了理解其中的含义,我们造访了位于六本木的三得利美术馆与刚刚开业的凤梨酥专卖店微热山丘。

隈さんといえば土地に根づいた素材や職人技術を生かした建築が魅力のひとつ。また、アジアやヨーロッパにも活動の場所を広げつつ、毎回、新しいスタイルを打ち出すことでも知られている。「自分のスタイル……つまり、隈さんの言葉をお借りするなら“キャラクター”を持たずに、新しいプロジェクトに挑むということ。それって、とても怖いことですよね。決まったスタイルがあったほうが楽なはずなのに……」と建築家の攻めの姿勢に驚きつつ、強く惹かれた様子の櫻井さん。対極ともいえる2つの作品を見学し、その疑問を本人にぶつけてみた。
提及隈先生,灵活运用当地特色的素材与工匠技术来打造建筑是其魅力之一。此外,随着其在亚洲与欧洲的活动范围不断增加,每次,他也因主张新风格而为人所熟知。樱井似乎惊讶于建筑师的进取态度,十分受到触动:“自己的风格……总之,借用隈先生的话来说,就是指不坚持‘个性’而去挑战新项目。这一点,真是非常可怕呢。明明延续既定的风格更加轻松……”那么就让我们参观学习可称为相反极端的两件作品,向当事人提出疑问吧。

体で感じる建築のディテール。
亲身体会到的建筑细节。

最初に訪れたのは東京ミッドタウン内に2007年移転開館した<サントリー美術館>。桐の無双格子による、柔らかな空気が漂う空間だ。収蔵品は3000件にも及ぶ日本の古美術。生活から見いだせれた「用の美」を飾る場として、隈さんが工夫したひとつが天井だという。「ここの天井には、間隔を空けて桐の板を設置し、ルーバー状にしているんです」。櫻井さんが見上げると、ルーバーの隙間からダクトが見え隠れしている。「ここを板で覆ってしまっては、用の美を展示する美術館にはきれいすぎる。あえて機能を見せるところに、質実剛健な日本人の生活が表せるんじゃないかと考えたんです」と隈さん。さらに展示室を出て、廊下へ歩くと「あれ?こっちはルーバーの幅が違うんですね」と櫻井さんが気づいた。展示室より隙間の細い、繊細なルーバー。「場によって建築の“粒感”を変えたかった」という隈さんの狙いが、その下を歩くだけで体に伝わってくる。今回のキーワード“空間の質”の意味が、少しずつひもとかれていくようだ。
首先参观的是 2007 年转至东京中城内并开馆的三得利美术馆。内外均为桐木格子,给空间营造出一种柔和的氛围。收藏品是多达 3000 件的日本古代美术作品。据说,作为一个由生活中发现的“实用之美”所装饰的场所,隈先生颇费工夫的一处便是天花板。“这里的天花板上,空出了间隔并配置了桐木板,做成百叶窗状。”樱井仰头望去,在百叶窗的间隙之间,风道隐约可见。隈先生说:“将这里用木板覆盖,对于展现实用之美的美术馆而言过于美观了。我想,通过展示功能,未必不能表现出质朴刚健的日本人生活。”接下来离开展览厅并朝廊下走去,樱井发现了并说道:“咦?原来这里的天花板宽度不一样呢。”此处的百叶窗较展览厅内的而言,间隙更小,也更纤细。认为“随着场所不同,建筑的‘粒感’也随之变化”的隈先生,目标是仅仅路过其下就能切身传达给参观者。本次的关键词“空间的质”,其含义是一点一点、慢慢地解开谜团。

続いて向かった<サニーヒルズ>は、隈さんの最新作のひとつ。<サントリー美術館>とは真逆の、外へとパワーがあふれ出る建築だ。エントランスにはみずみずしい植物。そこに、木組みをすり抜けた太陽の光が、木漏れ日のように差す。
接下来要前往的微热山丘,是隈先生的最新作品之一。这座建筑与三得利美术馆截然相反,向外释放着能量。入口处是绿茵茵的植物。在那里,阳光穿过木构件、照射进室内的样子,仿佛是从树叶空隙照进来一般。

コンセプトを訪ねると「ワクワクする空間」と隈さん。「太宰府のスターバックスでやった木組みを3次元に、より複雑に進化させたイメージ。さらに、この木が装飾ではなく、構造を果たしているのもポイントです」。使用したのは6cm角の檜。木造住宅でも10cm角の木材を使うところ、頑丈な檜でこの細さを実現した。「一度組むと外れない、地獄組みという組み方をしています」と笑う隈さん。窓を開けると、ふわりと檜の香りが漂ってくる。「森のなかにいるみたい」と深呼吸する櫻井さん。ここでも建築の魅力を体で感じることができた。
当问及理念时,隈先生答道,是“令人紧张雀跃的建筑”。“印象中是将在太宰府星巴克制造的木构件做成 3 次元的样子,并演变得更加复杂。此外,这些木制品并非装饰,对于实现结构而言也起着重要作用。”这里使用的是有 6cm 棱角的丝柏。如同在木制住宅中使用 10cm 棱角的木材,应用坚固的丝柏实现了这种纤细之感。隈先生笑着说:“我们采用了一旦组成就无法拆卸、被称为地狱组建的搭建方式。”打开窗户,丝柏的芳香飘然而过。樱井深呼吸一口,说道:“像在森林之中一样。”在这里也成功体会到了建筑的魅力。

新素材が変える、空間の質。
存在新素材变化的空间的质。

「隈さんにとって一番ビッグプロジェクトはなんだったんですか?」。青山にある隈さんの事務所に移動し、早速質問をぶつけた櫻井さん。ほんの少し悩んでから、隈さんは「竹の家ですかね」と答えた。<竹の家>とは北京郊外で手がけたゲストハウス。建材としては弱い竹だけで作ったこの家は「これぞ中国らしさ!」と喜ばれ、中国でのプロジェクトが急増するきっかけとなった。「でも、“竹の家の隈さん”というイメージが広がっても、ヨーロッパではまた違うスタイルで作品を作るんですよね?」。櫻井さんが言うように、一体オーダーはどのように来るのだろうか?「クライアントは皆、自分たちの土地にはオリジナルの素材と職人がいる。だから、今までと違う隈さんを見せてほしい、と言ってきます。建築家のブランドを求めるのではなく、自分たちだけの建築が欲しいんです」。
“对于隈先生而言,最大的项目是什么呢?”在前往隈先生位于青山的事务所途中,樱井便早早地提出了疑问。犹豫片刻之后,隈先生答道:“可能是竹之家吧。”竹之家是隈研吾在北京郊外设计的一家宾馆。建造该建筑所采用的建材仅为柔弱的毛竹,得到了“这才是中国风格!”的评价,成为了在华项目激增的契机。“不过,即便‘竹之家的隈先生’形象广为人知,您在欧洲也以其他风格创作作品的吧?”正如樱井所言,订单究竟是如何到来的呢?“所有的顾客,在他们自己的土地上都有其独特的素材与工匠。所以,会说希望隈先生展现出有别于迄今为止的一面。并非追求建筑家的品牌,而是想要只属于自己的建筑。”

それでも作品を俯瞰すると“隈研吾らしさ”が浮かび上がるのが面白い。その“らしさ”を感じにほかの作品も訪れてみたい、と櫻井さん。「そのとき、現代建築を楽しむポイントはあるんでしょうか?」。隈さんが挙げたキーワードは“空間の質”。「今は素材の幅はどんどん広がっています。<サニーヒルズ>ではコンピュータ解析で細い木材を使用したし、カーボンファイバーを使うプロジェクトも進んでいる。それは単に形が変わるのではなく、差す光が、流れる空気が変わること。今までにない“空間の質”を体でわかるようになることなんです」。
即便如此,如果纵观所有作品,那么隈研吾风格仍会浮现,这一点非常有趣。樱井说:“由于这种风格,我还想参观其他作品。”“那时,是否有鉴赏现代建筑的重点吗?”魏先生提出的关键词是“空间的质”。“如今,素材的广度逐渐增加。在微热山丘,通过电脑解析使用了细小的木材,采用碳纤维的项目也正在进行。这不仅仅是形态变化,而是照射进来的光线、流通的空气都在变化。逐渐就会切身感受和理解迄今为止未曾有过的‘空间的质’。”

櫻井さんが<サントリー美術館>で感じ取った、ルーバーの些細な変化は、まさにその“空間の質”だ。「生物としての人は、身を置くことでその違いに気づくはずなんです」。隈さんの力強いひと言が印象に残る対談となった。
樱井在三得利美术馆感受到的百叶窗之间的细小变化,就是“空间的质”。“作为一种生物的人,通过置身其中,理应能够发现这种差别。”由于隈先生这句强有力的话,本次采访令人印象深刻。


(荐书)

櫻井さんの今月の課題図書
樱井本月的课题图书

『建築家、走る』
ジャーナリスト・清野由美の聞き書きで、学生時代から建築家デビュー、海外の仕事や<歌舞伎座>設計の苦悩までを、率直な言葉で語った一冊(新潮社/1,400円)。
《建筑师,奔跑吧》
通过记者清野由美的边听边记录,本书以直率的语言讲述了从学生时代到作为建筑师而初露头角,海外的工作,乃至苦恼于歌舞伎座的设计(新潮社/1,400 日元)。


『僕の場所』
生まれた場所や、住んでいた土地。場所から掘り起こされる、土・光・風の記憶を頼りに、自身の創作姿勢を見つめた、書下ろし最新著書(大和書房/1,500円)。
《我的地方》
出生的地方以及居住的土地。在最新著作中,依靠对于土、光与风的记忆,从地点挖掘出自身的创作态度(大和书房/1,500 日元)。



(参观感想)
title:“らしさ”を壊しながら進むということ。
今回は本当に贅沢な機会をいただきました。ご本人に説明を受けながら、建築を学べるなんて。それに、隈さんの物腰の柔らかさ、僕にもフランクに対応してくださる姿勢に、とても感動しました。印象に残ったのは「今までと違う」というオーダーが多いというお話と、新しい素材に挑戦するというお話。常に、“らしさ”を壊しながら進んでらっしゃるんだな、と。それと同時に、隈さんに建築を頼む人々には“オラが村のよさを主張してくれる!”という安心感や信頼感を与えているんですよね、きっと。連載を重ねてきて思うのは、建築家=人の動きを考える人なんだ、ということ。その思いが、隈さんにお会いして、さらに強くなりました。
标题:不断突破风格地前进。
本次真是得到了一个非常难能可贵的机会。这是指一边听建筑家本人说明一边学习建筑。而且,隈先生举止间的温和,对待我们的坦率态度,都令我非常感动。印象深刻的是“有别于迄今为止”的众多订单以及挑战新素材。通常,突破“风格”。与此同时,将建筑委托给隈先生的人,想必也得到了“我推荐了当地的优点”这样的安心感与信赖感吧。随着连载不断进行,我在思考的是,建筑师可能就是考虑人的移动的一类人。这种想法,在与隈先生相遇之后,变得更加坚定了。



(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。映画、ドラマへの主演や、報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。今年4月にスタートした新感覚情報バラエティー番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS)は毎週木曜22時から放送中。嵐の最新シングル『GUTS!』も好評発売中!
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。出演电影与电视剧,也作为新闻节目 “NEWS ZERO” 的主播,广泛活跃于多种场合。今年 4 月开始的新感觉综艺节目“樱井有吉危险夜会”(TBS)每周四晚22点播出。岚的新单曲“GUTS!”正在销售。

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【vol.35】东京帝国酒店赖特馆(中央玄关)

《Casa BRUTUS》 2014 年 05 月号


櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



愛知県犬山市
爱知县犬山市


(背景)

今回訪れた場所 帝国ホテル・ライト館(中央玄関)
1923年竣工。フランク・ロイド・ライト設計。1890年に誕生した渡辺讓設計の初代・帝国ホテルを取り壊し、再建。1967年に老朽化による解体が決定し、エントランス部分のみが<博物館明治村>に移築された。●愛知県犬山市字内山1 ☎0568・67・0314。9時30分~17時(季節により変動あり)。12月~2月の月曜休、メンテナンス休館あり。
本次造访地点   东京帝国酒店赖特馆(中央玄关)
1923 年竣工。由弗兰克・劳埃德・赖特设计。诞生于 1890 年由渡边让设计的东京帝国酒店遭到拆除,随后再建。1967 年因老旧而决定拆除,仅将入口部分移建至博物馆明治村。●爱知县犬山市内山1 ☎0568-67-0314。对外开放时间:9 点 30 分至 17 点(随季节而变)。12 月至次年 2 月每周一以及维护期间休馆。


設計した人 フランク・ロイド・ライト
1867年、アメリカ・ウィスコンシン州生まれ。ルイス・サリヴァンの設計事務所を経って、1893年に独立。浮世絵のバイヤーとしてたびたび来日。日本でも住宅などの設計を手がける。<自由学園明日館><旧・山邑邸(現・ヨドコウ迎賓館)><旧・林愛作邸>が現存。前者2つは見学可。代表作に<落水荘><グッゲンハイム美術館>など。
设计者 弗兰克・劳埃德・赖特
1867 年生于美国威斯康星州。曾任职于路易斯・亨利・苏利文(Louis Henry Sullivan)的设计公司,并于 1893 年独立。曾多次以浮世绘买家身份来到日本。在日本也亲自设计了住宅等建筑物。现存的有自由学园明日馆、原山邑邸(现称淀川制钢 Yodoko 迎宾馆)和原林爱作邸。前两处可供参观。代表作有落水庄和古根海姆博物馆。



(导语)
vol.35 フランク・ロイド・ライト設計、念願の<帝国ホテル>に対面!
「どこかロマンを感じるんです」と<帝国ホテル・ライト館>に憧れを抱き続けてきた櫻井さんは、愛知の<博物館明治村>へ!建築保存の考え方のひとつである「様式保存」を学びながら、ディテールが釀す、ライト建築の濃厚な空気を味わいました。
第 35 期  参观由兰克・劳埃德・赖特设计、心仪已久的东京帝国酒店!
樱井说过:“总觉得哪里散发着浪漫气息。”他一直对东京帝国酒店的赖特馆抱有憧憬。这次,樱井将前往爱知县的博物馆明治村!一边学习保存建筑这种想法的其中一种形式——保存外观,一边品味赖特建筑富含细节的浓厚氛围。



(主体)

櫻井さんが対面を夢見たフランク・ロイド・ライト設計の<帝国ホテル・ライト館>は、そのエントランス部分だけが愛知県犬山市へ移築されている。日比谷のオフィス街から、湖畔の野外博物館へ。ライトがマヤ文明に影響を受けたという話はよく知られるが、背後に山々が迫るその姿は、さながら古代遺跡だ。
樱井十分期待参观由弗兰克・劳埃德・赖特设计的东京帝国酒店赖特馆,这座建筑仅有入口部分移建至爱知县犬山市。从日比谷的办公建筑街道至湖畔的郊外博物馆。尽管大家熟知赖特受到玛雅文明的影响,但是背后群山环绕的景象,还是宛若古代遗迹。

前回の連載で100万㎡にも及ぶ村内を見学した櫻井さん。移築・保存されている明治建築に触れながら敷地の奥へと進んでいくと、なだらかな坂の向こうに、<帝国ホテル・ライト館>が姿を現した。地を這うように低く、水平のラインが強調されたデザイン。大谷石を積み上げた石像や、精密なテキスタイルブロック。ライト建築の魅力が凝縮された圧倒的な佇まいに、しばし立ち尽くす櫻井さん。「最初は想像していたより小さく見えたけれど、正面に立つとやっぱり違う。……かっこいい。すごい迫力です!!」
樱井在上一期连载采访中参观了多达 100 万平方米的明治村内。一边接触得到移建和保存的明治时期建筑一边向里走,缓坡的对面,浮现出东京帝国酒店赖特馆的身姿。设计强调水平线条,高低程度仿佛沿地面爬行。大谷石堆积而成的石像与精密织物纹样砌砖。在浓缩了赖特建筑魅力的浓烈氛围中,樱井站立着,久久不愿离去。“虽然最初看起来比想象的要小,但是站在正面看,果然就不同了。……太帅气了。冲击力真的很强!”

<帝国ホテル・ライト館>が竣工したのは1923年。それから44年後の67年に取り壊しが決まり、85年に移築が完了した。しかし、1923年といえば大正時代。明治の建築を集めたこの場所に、なぜ移築が決まったのだろうか?
东京帝国酒店赖特馆竣工时是 1923 年。在那之后 44 年的 1967 年决定拆除,并于 1985 年完成移建。可是,1923 年是大正时代。为何决定将建筑物移建至汇集了明治时期建筑的这个地点呢?

移築からひもとかれた予算3倍の理由。
通过移建来了解预算变成 3 倍的理由。

<帝国ホテル・ライト館>の落成披露宴が行われた1923年9月1日。東京は未曾有の巨大地震、関東大震災に襲われた。マグニチュード7.9の揺れと、立て続けに起こる余震。しかし建物の所々に亀裂が入るものの<ライト館>はほぼ無傷。このことが“ライト建築は地震に強い”というイメージを広げていく。
东京帝国酒店赖特馆的落成庆典定于 1923 年 9 月 1 日。那天,东京遭受了前所未有的大地震——关东大地震。震级为 7.9 级的震感以及由此引发的持续余震。然而建筑物多处出现裂痕的赖特馆,却基本可算作没有受损。赖特的建筑非常抗震,这样的印象由此传开。

地震の当日、ライトは海の向こう、アメリカ・ウィスコンシン州にある事務所にいた。「ライトは工期を大幅に延長し、さらに予算を3倍まで膨らませてしまいました。それが理由で事実上解雇され、帰国していたのです」と博物館明治村の学芸員・中井彩子さん。「3倍!それはかなりの人に怒られたんだろうなぁ」と巨匠の心情を思う櫻井さん。ライトの帰国後は、愛弟子の遠藤新らが意志を引き継ぎ、ホテルを竣工させた。「ライト館がどうして工期も予算もオーバーしてしまったのか。それがよくわかるのが、移築のときの研究資料なんです」。中井さんが案内してくれた非公開の3階には、ライトが特注したレンガや窓ガラスといった解体材、そして膨大な試作品が並んでいた。「この試作品は、ライト館の移築時に私たちが作ったものです。このホテルは正確には“様式保存”といって、デザインや構造をトレースしながら、新たな素材で立て直しをしているのです」。
地震当天,赖特身处大洋另一侧的美国威斯康星州事务所内。博物馆明治村研究院中井彩子女士说:“赖特大幅延长了工期,甚至将预算增加到原数额的 3 倍之多。实际上,这成为了赖特遭到解雇的原因,因此他回国了。”樱井想象着建筑大师的心情,说道:“3倍!这样做大概遭到了不少人的责难吧。”赖特回国之后,他的得意门生远藤新等人继承了他的志向,完成了酒店建设。“为何赖特馆在工期和预算上都超出计划了呢?我们通过移建时的研究资料,才得知了原因。”中井女士引领我们来到不对外开放的第 3 层,这里摆放着遭拆除的建材,例如砖块和窗户玻璃,据说它们是赖特特别订做的,此外还有大型试制品。“这个试制品,是我们在赖特馆移建时制作的东西。谈及正确的保存外观,这座酒店在重新描绘设计与构造的同时,还使用新素材进行修整。”

老朽化の激しい大谷石を使ったライト館は、そのまま移築しても十数年も持ちこたえることはできない。現状を把握した<博物館明治村>の創設者、建築家の谷口吉郎が考え出したのが「様式保存」という新しい考え方。構造は鉄筋コンクリートに変更し、大谷石はコンクリートブロックを用い、そっくりに作られた。「ライトも随分苦労したんですね」と試作品を手にしながらつぶやく櫻井さん。アプローチの池に立つ石像は5回、6回と作り直したという記述もある。日本の職人との言葉の壁、さらに“古代遺跡”と表現される未知のデザイン。予算が3倍に膨れ上がったのも無理はなかった。
赖特馆使用了严重老旧的大谷石,即便是原样移建,十余年后也无法保持良好状态。了解现状的博物馆明村创始人兼建筑师谷口吉郎得出的结论是所谓保存外观的一种新方式。将结构转变为钢筋混凝土,而大谷石则用混凝土砖块替代,将建筑外观做得与原作品一模一样。樱井拿着试制品小声自言自语道:“赖特也付出了相当多的努力啊。”有记录表明,立于大门前通道附近水池中的石像重做过 5、6 次。与日本工匠间的语言障碍,加上意在表现古代遗迹外观的未知设计,预算因此增加了 3 倍,也并非没有理由。

オリジナルが放つ、芳香な佇まい。
展现原创性、充满芳香的环境氛围。

3階から食堂、中2階を通り、メインロビーへ下がりてきた櫻井さん。途中何度も「光がきれい」と足を止め、窓を見上げる。光と影が交わる館内は<自由学園明日館>にも共通する、ライト建築の特徴だ。正面ホールを出ると中井さんが車寄せの壁を指さした。「これが一部だけ残る当時の大谷石です」。所々欠け落ち、輪郭は曖昧だ。「本物にはどこか柔らかさを感じますね」と櫻井さんは、オリジナルの壁にそっと手を触れた。
樱井从 3 层餐厅穿过一二层之间的中间层,下楼来到主厅。中途多次驻足感叹“光线真美”,并抬头望向窗户。馆内光影交错,这点与自由学园明日馆一样,是赖特建筑的特征。刚离开正面大厅,中井女士指向供往来汽车临时停靠的门廊。表面有些脱落,轮廓也有点模糊。樱井用手轻触原建筑的墙壁,说道:“原作的某些地方有柔和的感觉呢。”

さて、大正建築の<ライト館>が<博物館明治村>に移築された謎である。地震に強いといわれた<ライト館>だが、実際には地盤沈下が始まり、老朽化した大谷石による雨漏りもひどかった。立て直しは避けられない。しかし、ライトが初めてアメリカ国外で手がけた作品である。解体計画が発表されると世界で反対運動が巻き起こった。その熱はどんどんと高まり、時の首相、佐藤栄作が米国でインタビューを受けた際、こんな質問が飛び出す。「帝国ホテルの解体問題はどうするのか?」。すると佐藤は「日本には明治村という野外博物館がある。そこに移築すればいいのではないか」とコメントしたのだ。この独断発言により、解決案のなかった反対運動は終息に向かう。移築に動き出したとき、かろうじて残っていたのはエントランス部分だけだった。
那么,赖特馆作为大正时期的建筑,为何会移建至博物馆明治村呢?虽然大家认为赖特馆抗震,但实际上,当时地基已经开始下沉,在逐渐老旧的大谷石间,漏雨现象也很严重。翻修是无法避免的。但是,这是赖特第一件位于美国之外的设计作品。解体计划刚一公布,就在世界范围内掀起了反对运动。这股热潮逐步高涨,时任首相佐藤荣作在美国接受采访之际,突然遇到这样的提问,“东京帝国酒店解体的问题,您打算怎么做?”于是,佐藤答道:“在日本,有一座名为明治村的郊外博物馆。可能会将酒店移建到那里。”由于这段自行做主的发言,没有解决方案的反对运动才走向终结。进行移建时,勉强保留下来的只有入口部分。

この日、昼下がりの館内は、見学に訪れた地元小学生であふれていた。「帝国ホテルの外観には、左右でデザインが違う箇所が3つあるんですよ」と中井さん。このクイズを解きながら子供たちは建築と戲れているのだろう。ホテルとしての役目を終え、穏やかに込めた熱はまだ静かにホテルに漂っているように感じた。
这天,夕阳西下的馆内四处都是前来参观的当地小学生。中井女士说:“东京帝国酒店的外观中,左右设计不同的地方有 3 处。”小朋友们一边寻找问题的答案,一边与建筑嬉戏。东京帝国酒店作为酒店的角色已经结束,然而从酒店蕴含的平静氛围中,我们依然能感受到其中平稳地包含着热情。


(荐书)

櫻井さんの今月の課題図書
樱井本月的课题图书

『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』

竣工した建築を実測した平面図や断面図、東京・日比谷にあった当時の写真等を豊富に掲載。帝国ホテル・ライト館の全貌を明らかにする(建築資料研究社/3,200円)。
弗兰克・劳埃德・赖特的东京帝国酒店》
书中刊登了许多竣工建筑的实测平面图与断面图以及位于东京日比谷的当时的照片。清晰地记录了东京帝国酒店赖特馆的全貌(建筑资料研究社/3,200日元)。


『Casa BRUTUS特別編集 20世紀の三大巨匠』
ライト、コルビュジエ、ミースの三大巨匠建築家を徹底特集。現在の帝国ホテル内の「インペリアルバー」に残るライトのタイル画も紹介(マガジンハウス/1,429円)。
《Casa BRUTUS 特刊:20 世纪的三大建筑师》
该书是详细介绍三大建筑师——赖特、柯布西耶与密斯——的特刊。此外,还介绍了现在保留于东京帝国酒店内帝国酒吧中的瓷砖画(Magazine House / 3,200日元)。



(参观感想)
title:ライト建築にまた一歩、踏み込んだ気分です。
念願叶って、ようやく訪れることができた<帝国ホテル・ライト館>。現在の帝国ホテルのイメージがあったので、第一印象は建物が低いように感じましたが、建物の正面に立つとやっぱり迫力がありました。映画『 インディ・ジョーンズ』に出てくる遺跡みたい、なんて言うと失礼かもしれないけれど、ここまで来ないと見られないのがまた遺跡っぽい(笑)。もし東京の真ん中に残っていたとして、そこで見るのとは全く感じ方が違うのでしょうね。“世界に誇れるホテルを!”という思いに時代の動きを感じるし、<自由学園明日館>を先に見ていた僕にとっては、ライト建築の一方先に触れられた気分。ワクワクしたなぁ。本当に最高でした!
标题:感觉离赖特建筑的距离又近了一步。
我终于实现了心愿,能够参观东京帝国酒店赖特馆。虽然由于对现在的东京帝国酒店有印象,第一印象是觉得建筑物很低,但是当我站在建筑物的正面观察,建筑果然还是很有气势。尽管将它描述成在电影《夺宝奇兵》中出现的遗迹一般也许很失礼,但是不来此处就无法见到,这一点令它更像遗迹了(笑)。如果建筑保留在东京都正中央,那么站在那里看到的,也许感觉就完全不同了吧。要建造出让全世界都交口称赞的酒店!从这样的想法当中感到了时代的变迁。对于先参观过自由学园明日馆的我而言,仿佛能稍微更了解赖特的建筑。非常兴奋。真的非常棒!



(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。バラエティー番組『今、この顔がスゴイ!』(TBS)では司会を務める。ニューアルバム『LOVE』を引っさげ、5大ドームを巡る全国ツアー中。2014年3月21日から映画『神様のカルテ2』が公開。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。在新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。在综艺节目“当下最in颜”(TBS)中担任主持。随着新专辑“LOVE”发行,正在进行5大巨蛋全国巡回演唱会。2014年3月21日电影“神的病例簿2”将公开上映。

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【vol.34】博物馆明治村

《Casa BRUTUS》 2014 年 04 月号


櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。
嵐の櫻井翔さんが、自ら日本全国の気になる建築まで足を運び、その魅力や驚き、感動を誌面でリポートします。
樱井翔的建筑学习之旅。
岚的樱井翔特意亲自前往日本全国感兴趣的建筑,通过杂志向大家传递建筑的魅力和它令人惊异与感动之处。



愛知県犬山市
爱知县犬山市


(背景)

訪れた場所 博物館明治村
1965年開村。建築家・谷口吉郎と、後の名古屋鉄道社長・土川元夫が、取り壊されていく明治建築を移築・保存するために設立。入鹿池を望む約100万㎡の敷地に、現在60件を超える建造物を保存・公開している。●愛知県犬山市字内山1 ☎0568・67・0314。9時30分~17時(季節により変動あり)。12月~2月の月曜休、メンテナンス休館あり。
造访地点  博物馆明知村
1965 年建成。该建筑由建筑师谷口吉郎与后来任名古屋铁道社长的土川元夫设立,目的是移建和保存遭到拆除的明治时期建筑。在面积约 100 万平方米、能够眺望到入鹿池的地基上,现在保存并展出着 60 余件建筑物。●爱知县犬山市字内山 1 ☎0568-67-0314。对外开放时间:9 点 30 分至 17 点(随季节调整)。12 月至次年 2 月每周一以及维护期间休馆。


開設した人 谷口吉郎
1904年、石川県金沢市にある九谷焼の窯元に生まれる。和風建築の大家として知られる一方で、<秩父セメント第二工場><東京国立博物館 東洋館>など近代建築の名作も残した。代表作に<藤村記念堂><帝国劇場><ホテルオークラ・メインロビー>。『清らかな意匠』『雪あかり日記』など著書も多い。1979年没。息子は建築家の谷口吉生。
设计者 谷口吉郎
1904 年生于石川县金泽市的九谷烧窑户家中。谷口是广为人知的日式建筑大家,留下了诸如秩父水泥第二工厂与东京国立博物馆东阳馆等近代建筑名作。代表作有藤村纪念堂、帝国剧场和大仓酒店主厅。著书颇丰,包括《简洁的设计构思》和《雪光日记》等。1979 年逝世。其子是建筑师谷口吉生。



(导语)
vol.34 明治にタイムスリップ!?建築から時代を知る野外博物館へ。
櫻井さんが憧れる<帝国ホテル ライト館>は、愛知県犬山市にある<博物館明治村>に移築されています。明治建築を保存・展示する野外博物館を歩きながら、建築から醸し出される時代の空気を体感しました。
第 34 期 穿越时空回到明治时期!?前往户外博物馆,通过建筑了解一个时代。
樱井十分欣赏的东京帝国酒店本馆——赖特馆,移建至位于爱知县犬山市的博物馆明知村。我们一边漫步于保存和展出明治时期建筑的户外博物馆,一边实际体验着建筑所酝酿出的时代氛围。



(主体)

巨匠フランク・ロイド・ライトが手がけた旧・帝国ホテル(通称ライト館)をひと目見たい!櫻井さんの胸にそんな思いが生まれたのは、この連載でライトが設計した<自由学園明日館>を訪ねたときだった。課題図書の写真にあった古代遺跡のような佇まいにロマンを感じたのだという。そんな夢をかなえるため、愛知県犬山市にある<博物館明治村>へと向かった。1923年、日比谷に完成したライト設計の旧・帝国ホテルは、老朽化のため68年に取り壊しが決定。世界を巻き込んで反対運動が起こった末、エントランス部分だけがここに移築されたのだ。
我想看一眼建筑大师弗兰克・劳埃德・赖特亲自设计的原东京帝国酒店(俗称赖特馆)!樱井心中的这种想法,产生于在本连载中参观自由学园明日馆时。听说是由于在课题图书照片中那如同古代遗迹般的氛围中感到了浪漫气息。为实现这个梦想,我们前往地处爱知县犬山市的博物馆明知村。原东京帝国酒店由赖特设计并于 1923 年在日比谷建成,由于建筑老旧,定于 1968 年拆除。在经历波及全球的反对运动之后,仅将入口部分移建此处。

<博物館明治村>は明治建築を移築・保存して一般に公開するため、65年に開設された野外博物館。国内では前例のない壮大な建築保存計画を構想したのは、建築家の谷口吉郎だった。谷口は、戦後の経済復興でかき消されていく明治の記憶をどうにか残そうとしたのだ。
博物馆明治村是一座户外博物馆,为将明治时期的建筑移建、保存和日常对外开放,而于 1965 年开设。构思了这个日本国内前所未有的大型建筑保存计划的,是建筑师谷口吉郎。这是由于谷口想方设法希望将随着战后经济复兴而面临消失的明治时期记忆保存下来。

<帝国ホテル ライト館>に出会うため<博物館明治村>の門をくぐった櫻井さん。次々と現れる明治建築を巡りながら、まずはこの博物館に込められた建築家・谷口吉郎の思いに耳を傾けた。
樱井为了参观东京帝国酒店赖特馆,敲开了博物馆明知村的大门。我们绕着逐个出现的明治时期建筑参观,并首先倾听了投身博物馆建设的建筑师谷口吉郎的想法。

鹿鳴館の悲劇を繰り返さないために。
为了不让鹿鸣馆的悲剧重演。

<博物館明治村>があるのは、自然豊かな入鹿池の湖畔。敷地は約100万㎡にも及ぶ。博物館の構想を練っていた谷口にこの土地を提案したのは、当時、名古屋鉄道の副社長を務めていた土川元夫だった。人里離れた山間だが、移築のための十分な広さがあり、近隣の火災や車の排気ガスの心配もない。何より山々に囲まれた非日常の空間が明治にタイムスリップしたような感覚にさせてくれると、谷口はこの土地をいたく気に入ったという。「谷口と土川は金沢の第四高等学校の同窓生でした。同窓会で顔を合わせた二人は谷口の考えに意気投合し、明治村開村のために二人三脚で取り込んだといわれています」と学芸員の中井彩子さん。「いいね!やろうか!そんなノリだったんですかね」と二人のやり取りを想像する櫻井さん。だが、谷口と土川が直面した現実は実に厳しかった。
博物馆明治村的所在地,是自然景观丰富多样的入鹿池湖畔。占地多达约 100 万平方米。向抱有博物馆构思的谷口提议这片土地的人,是时任名古屋铁道副社长的土川元夫。虽是远离村庄的山间,但却拥有可用于移建的广大面积,也不必担忧近邻火灾或汽车尾气排放。群山环绕、有别日常的空间令人感到仿佛穿越时空回到明治时代,据说谷口十分喜欢这片土地。博物馆研究员中井彩子女士说:“谷口与土川曾是金泽第四高中的同学。据说,在同学会上相遇的两人关于谷口的构想上志同道合,为建成明治村而齐心协力、食不暇饱。”樱井想象着两人的对话:“真棒啊!就这么干!应该就是这样干劲十足吧。”然而,谷口与土川面临的现实情况却很严峻。

当時の日本は戦後経済復興の真っただ中。“明治と名のつくものは戦犯の如く存在を無視され、次々と壊されていった”と谷口が記しているように、各地で取り壊しが進み、開村は一刻一秒を急ぐ状況。土川も名鉄が所有していたこの土地を利用するため、社内の説得を繰り返し続けた。それほどに、戦後の日本は文化保存に対する意識が稀薄だったのだ。「そんな厳しい状況下で谷口さんを突き動かしたのは、あの鹿鳴館が取り壊されたという苦々しい記憶だったのではないでしょうか」と中井さん。<鹿鳴館>とは、英国人建築家ジョサイア・コンドルが手がけた絢爛豪華な迎賓館。くしくも帝国ホテルの隣にあったこの館は明治を象徴する名建築だったにもかかわらず、戦前、人知れず解体されてしまう。谷口はこの無念さを新聞に寄稿、それを機に壮大な野外博物館構想を思いついたのだった。
日本当时正处于战后经济复兴之中。“名称中带有明治二字的事物,其存在如同战犯一样被无视并接连不断地遭到破坏。”正如谷口所记录的那样,日本各地都在进行拆除,建立博物馆成为了必须争分夺秒完成的事情。土川也为了能使用名古屋铁道所有的这片土地而在公司内部反复进行游说。正是如此,战后的日本在文化保护方面可谓意识薄弱。中井女士说:“在这种严峻的情况下,激励谷口的,也许是鹿鸣馆遭到拆除的苦涩记忆吧。”鹿鸣馆,是英国建筑师约西亚・肯德尔设计建造的豪华迎宾馆。虽然这座位于东京帝国酒店旁边的迎宾馆是象征明治时期的著名建筑,但是令人难以置信的是,建筑却在战前不为人知地被拆除了。于是谷口向报纸投稿,讲述由此产生的懊悔,并以此为契机提出大型户外博物馆的构思。

谷口は、建築が取り壊される知らせを聞くと、救急車を飛ばすように現場に駆けつけたといわれている。この緑豊かな湖畔に集められているのは、そうして一命を取り留めた建築ばかりなのだ。
听闻,谷口一旦听到建筑将被拆除的通知,便如同驾驶救护车一般飞奔现场。这片绿意盎然的湖畔聚集的,都是如此幸存下来的建筑。

建築が語りかける明治の日本。
建筑物所讲述的日本明治时期。

現在、村内には60件を超える建造物が移築されている。正門を入ってすぐ、櫻井さんの目に飛び込んできたのは白く輝く<三重県庁舎>。堂々とした清爽な佇まいに「かっこいい!」と駆け寄る櫻井さん。車寄せの屋根には菊花御紋章。「こういったところからも明治の空気を感じますね」と感慨深げだ。
现在,移建至明治村内的建筑物有 60 余件。进入正门,即刻跃入樱井眼中的,是白色的三重县厅舍。樱井快步走近,对气势恢宏、风格简洁的建筑感慨道:“太帅气了!”在门廊顶部有菊花图案的徽章。樱井感慨颇深地说道:“从这里也能感受到明治时代的氛围呢。”

続いてメインストリート、レンガ通りへ。移築保存第1号の<札幌電話交換局>や谷口と土川の母校<第四高等学校物理化学教室>が並ぶ。「じっくり見ていたら一日あっても足りない!」と興奮気味の櫻井さん。建築に身を置き、歴史を聞く。その繰り返しで、明治という時代が徐々に体に染み込んでいくようだ。
接下来前往主路——砖石大街。这里排列着的,有移建保存的第 1 座建筑札幌电话交换局,还有谷口和土川的母校第四高中物理化学教室。樱井有点兴奋地说:“如果仔细看的话,就算一天时间也不够!”置身建筑之中,聆听历史。如此反复,遥远的明治时代仿佛逐渐浮现在脑海之中。

たった一日で明治建築を浴びるように体験した櫻井さん。最後に「建物の選定はどうしているんですか?」と質問が出た。すると「選定はしていません」と中井さん。「ここにあるのは“取り壊しが決まった建造物”だけ。私たちから移築を依頼したことは一度もないんです。」
樱井只有一天的时间能沉浸在明治时期的建筑之中。最后,樱井提出一个疑问:“建筑物的选择方面是如何做的呢?”中井女士回答道:“我们不进行选择。这里只有‘确定将遭拆除的建筑物’。我们从未提出过移建的请求。”

このことからも<博物館明治村>が明治を懐かしむテーマパークではないことがよくわかる。谷口はこんな言葉も残している。「明治文化のすべてが善であり美であることは、あり得ない。悪も醜も多い。(中略)私たちはただ感傷のみでなく、むしろ歴史の厳粛さを直視するために、滅びゆく建築の移築保存に努力を注いだ」(『明治村縁起』)
由此也可得知,博物馆明治村并非怀念明治时期的主题公园。谷口留下了这样的话。“明治时期的文化皆为善与美,这种情况是不存在的。恶与丑也很多。(中略)我们并非仅仅怀抱感伤,而是为了正视历史的严肃性,才会倾尽全力把即将消亡的建筑物移建并保存起来。”(《明治村缘起》)

まもなく開村50年を迎える<博物館明治村>。2007年に<芝川又右衛門邸>が移されて以降は建造物の移築はないという。「現地保存の考えが広まってきた証です」と中井さんも嬉しそうだ。野外博物館の役割を深く理解した櫻井さん。次回はいよいよ、<帝国ホテルライト館>と対面です。
博物馆明治村不久即将迎来建成 50 周年。据说,自 2007 年芝川又右卫门宅邸移来之后,就再没有建筑物移建了。中井女士高兴地说:“这证明了将建筑物保存在原地的想法逐渐得到了广泛认可。”而樱井则深刻理解了户外博物馆的作用。终于,我们将在下一期中参观东京帝国酒店赖特馆了。


(荐书)
櫻井さんの今月の課題図書 『博物館明治村』
開村から11年後に出版された大判写真集。建築写真家・二川幸夫によるカラー、およびモノクロ写真で当時の村内の様子が蘇る。谷口吉郎による随筆『明治村縁起』も収録。絶版(淡交社)。
樱井本月的课题图书 《博物馆明治村》
本书是博物馆明治村建成 11 年后出版的大开本照片集。通过建筑摄影师二川幸夫拍摄的彩色照片与黑白照片,重现当时博物馆明治村内的样子。此外,书中还收录了谷口吉郎的随笔作品《明治村缘起》。绝版(淡交社)。



(参观感想)
title:僕らの世代も明治に触れられる場所。
ライトの<帝国ホテル>をきっかけに知った<博物館明治村>。今日は、今まで馴染みの薄かった明治という時代に触れられた貴重な一日でした。谷口吉郎さんと土川元夫さん。二人の物語を文章にすると、幼なじみが意気投合して…と美談のように語られるのだろうけれど、実際は想像できないほど大変なプロジェクトだったんですね。“高度経済成長の中ですさまじい破壊行為が推し進められている”。課題図書の谷口さんの文章に、当時の切迫した空気を表す言葉がありましたが、ここがなかったら僕らの世代は触れられない異文化がたくさんあった。それぞれの建築も新しい居場所を見つけてホッとしているような、そんな空気を感じました。
标题:我们这一代也能在这里接触到明治时期。
我通过赖特的东京帝国酒店得知博物馆明治村。今天能够接触到熟悉程度不高的明治时期,是非常有意义的一天。谷口吉郎先生与土川元夫先生。如果将两人的故事写成文章,也许会被描述成童年时代的友人志同道合的一番美谈,但是实际上却是难以想象、充满困难的项目呢。“经济高速成长过程中,令人震惊的破坏行为也在推进。”课题图书中谷口的文章里,有描述当时紧张气氛的内容,若是没有这座博物馆,那么我们这一代无法接触到的、那些不同于我们成长环境的文化就更多了。各式建筑都找到了新的安置地点,我似乎感到松了一口气。



(简介)
さくらいしょう 1982年東京生まれ。人気グループ「嵐」のメンバー。報道番組『NEWS ZERO』のキャスターなど幅広い分野で活躍。バラエティー番組『今、この顔がスゴイ!』(TBS)では司会を務める。最新シングル『Bittersweet』が好評発売中。3月21日からは主演を務めた映画『神様のカルテ2』が劇場公開される。
樱井翔 1982年生于东京。人气组合“岚”的成员。在新闻节目 “ NEWS ZERO ” 的主播,广泛活跃于多种场合。在综艺节目“当下最in颜”(TBS)中担任主持。新单曲“Bittersweet”正在销售。3月21日起樱井主演的电影“神的病例簿2”将在电影院公开上映。

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